12月1日~3日までの2泊3日で、福島の会津若松に妻と二人で行ってきた。
雪の不安もあったが、ノーマルタイヤのままで出発。 途中磐越道の猪苗代湖付近では、路肩に雪が積もっていたが、会津若松に下ると雪は消えていた。
初日は会津若松を通り越し、蔵の街並みを楽しもうと喜多方を訪れた。 もちろん真の目的は、本場で喜多方ラーメンを食べることである。 果たして本場の味は・・・
旅行日:2024年12月1日~12月3日
本場で食べる喜多方ラーメンは??
喜多方市内に12時半頃に到着。 観光前にラーメンで腹ごしらえをしようと、車で目に付いたラーメン屋に飛び込んだ。
入った店は「来夢」という名の店。 日曜の昼飯時なので混んでいるかと思ったが、まったく並ぶことなく着席。 早速メニューを広げる。
もちろんラーメンが目的なので、「喜多方チャーシュー麺 半熟卵乗せ」に「餃子」を付けて注文する。
最近は豚骨のこってり系ラーメンを食べることが多く、久しぶりに澄んだスープの醤油ラーメンである。
チャーシューは小さめだが、味もしっかり柔らかい。 喜多方の特徴である縮れた麺はモチモチで、いかにも喜多方ラーメンで美味しい。
では都内などで食べる喜多方ラーメンと比較し、本場はどうだったか???? 驚くほどの差は無かった気がする。
なお餃子は美味かったことを付け加えておく。
おたづき蔵通り
腹ごしらえを終え、観光案内所のある駐車場に車を入れる。 そして観光案内所で「ぶらりんマップ」を貰い、簡単な説明を受けて市内観光に出発。
さほど広い地域ではないので、車はそのまま駐車場に止め、のんびり歩いて回ることにした。
喜多方は江戸時代に味噌や醤油・酒などの醸造が盛んになり、蔵も建てられ、今も明治や大正時代のものが多く残るという。
そのため最初に訪れた「おたづき蔵通り」は、重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されているという。
小原酒造 モーツァルトを聞かせて酒造り
古い蔵が立ち並ぶ「おたづき通り」の風景の中に、シンボル的存在でもある老舗酒蔵「酒蔵くらしっく 小原酒造」がある。
なんとモーツァルトの音楽を聞かせて酒を醸造しているという。
お店に入ると先客が数人おり、お店の方が酒造の案内をするというので、一緒に話しを聞かせてもらうことにした。
小原酒造は享保2年(1717)に味噌や醤油の醸造で創業。 明治初期に飯豊山地からの良質な伏流水が見つかり、酒造業も始めたという。
酒蔵への通路には、歴代の杉玉がぶら下がっていた。
酒蔵での説明では、牛に音楽を聞かせると乳の出が良いということをヒントに、醸造時に様々な音楽を聞かせ、モーツァルトを聞かせた酒が毎回賞を獲ることが判ったそうだ。
クラシック音楽でまったりとした酵母菌の働きで、美味しい酒に仕上がっているのだろう。
蔵座敷のあるショップに戻り銘柄の説明を受け、試飲もさせてもらえる。 残念ながら車の運転があるので試飲は遠慮したが、妻はクイクイと4~5種類も試飲していた。
せっかくなので1本買っていこうと、その名もずばりの「くらしっく」という銘柄をお土産として購入。
おたづき蔵通りからレトロ横丁商店街(ふれあい通り)に向かう途中にあったNTT。 道路に面した建物は蔵風に作られていた。
このNTT前の道路工事では、赤べこが群れを成していた。 なかなか愛嬌ある顔をしている。
レトロ横丁商店街(ふれあい通り)
おたづき蔵通りに並ぶ観光スポットで、江戸・明治以来の個性的な店蔵が軒を連ねているという。 電柱も地中化され、綺麗に整備されているが、日曜の午後だというのに人が少なかった。
右の蔵は「中の越後屋」で、味噌醤油蔵だという。
三十八間蔵という蔵があった。 京都の三十八間堂のような名前だが、明治15年に完成した全長70メートルの商品蔵。
農家の人たちが冬場の農閑期に、副業として作った竹細工や藁製品を背負子につめ込み、遠く飯豊山麓から 7時間もかけて商品を納めに来たという。 蔵にはおよそ一年分の商品がうず高く積まれていたそうだ。
なかなか良い雰囲気の路地が、表通りから左右に伸びる。
「ラーメン神社」なるものがあった。 喜多方ラーメンのミュージアム入口らしく、鳥居は割りばしを模しているようだ。
最後に「若喜レンガ蔵」を訪れ、若喜商店の店主の”使い古した笑い”を交えた説明を聞きながら、「縞柿(しまがき)の間」などを見学して喜多方散策の幕を閉じた。
蔵などをもっとじっくり見たかったが、やはり寒い。 東京の寒さと違い、ジンジンとする寒さで、12月の初めだというのに手先が冷たくなる。
この日は会津若松の東山温泉に宿をとってある。 早く温泉に浸かって温まろうと、車で会津若松に向かうことにした。
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