瀬戸内海に浮かぶ大崎下島。 聞いたことのなかった島の名前だが、瀬戸内の島々を橋で結ぶ「しまなみ海道」「とびしま街道」を自転車でめぐった際に、この島を訪れた。
大崎下島は広島県の呉市に属し、島の一角に御手洗(みたらい)と呼ばれる地域がある。 江戸時代から昭和30年頃まで、風待ち・汐待ちの港として賑わったそうだ。
訪問日:2012年5月27日
レトロな家並みを今に残す
大崎下島の海岸線を走る道から一歩中に入ると、まるで大正とか昭和初期の時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。 そこには古い商家や大衆劇場、映画館、洋館などが、細い路地に軒を並べていた。
瀬戸内は潮流が速く、江戸時代の北前船などは、沖合の島で風待ちや汐待ちをする必要があったそうだ。
この御手洗は風待ち・汐待ちの港として賑わい、100人以上の芸妓を抱える待合茶屋も置かれていた。
しかし昭和に入り、船舶機関の発達により風待ち・汐待ちは不要となり、御手洗の町も寂れていったそうである。
港から見た御手洗地区
港側から見ると、普通の漁師町程度にしか見えない。
レトロ感たっぷりな家並み
町中に一歩入ると、レトロな家並みが続く。
家々の玄関口には小さなすだれが掛けられ、花が活けられている。
江戸時代の町家風景が残されているというが、1759年の大火で大半を焼失し、後に建て替えられたそうだ。
改造車? 車輪を見ると、以前は乳母車だったと思われる。 「子連れ狼」という漫画で、大五郎が乗っていた乳母車を連想する。
訪れたのは日曜の11時頃。 海岸沿いの駐車場には多くの車が停まっていたが、町中に入ると観光客は目立たない。
若胡子屋とお歯黒伝説
100人ほどの遊女がいたという茶屋「若胡子屋(わかえびすや)」。
遊女たちは「おちょろ舟」と呼ばれる小舟に乗り、港に停泊する千石船などに声をかけたという。
この若胡子屋の花魁が、お歯黒の準備に手間取ったお付きの禿(かむろ)に怒り、熱したお歯黒を飲ませてしまった。 どす黒い血を吐き、のたうち回る禿は、血まみれの手を壁について逃げようとしたが、やがて力尽きてその場でこと切れてしまった。
翌日から花魁が鏡の前に立つと、死んだ禿が鏡に映り「お歯黒つけなんしたか・・・」 さらに 禿が倒れた時に壁に付けたお歯黒の手形は、壁を何度塗り替えても浮かび上がってきたという。
若胡子屋の前の通り。 今は閑散としているが、昔は人波が絶えなかったのだろう。
乙女座 芝居小屋が残っている
昭和12年に劇場として建てられた「乙女座」。 外観はモダンな佇まいだが、館内は畳敷きといった和の風情たっぷりの空間である。
一時は映画館や選果場に転用されたが当初の姿に復元された。 もちろん花道や桟敷、奈落といった芝居小屋の機能も持っている。
昭和レトロな時計屋さん
赤い時計の看板が目を引く、明治時代創業という松浦時計店。
正しくは「新光時計店」だそうで、今でも全国から時計修理が持ち込まれ、「時計の駆け込み寺」としてマスコミなどに登場する。
大正時代に建てられた越智医院。 今は営業していない。
右側は、元薩摩藩船宿の脇屋。 江戸末期に大久保利通も立ち寄ったといわれている。
千砂子波止と高灯篭
江戸時代後期に広島藩が築いた防波堤「千砂子波止」。 「ちさごはと」と読む。 防波堤の突端に立つ高灯篭は、平成3年の台風で流されたために再建したものだそうだ。
御手洗地区は徒歩で十分に回れる広さである。 レトロ感あふれる家並みを持つ小路をゆっくりと散策し、海辺に出て「千砂子波止」に腰かけ、ぼぉ~っと海を眺める。
歴史を感じながら、ゆったりとした時の流れを楽しめる町歩きであった。
コメント