中山道 第4宿 大宮宿 武蔵一宮 氷川神社に寄り道する

大宮氷川神社

2014年9月30日。 この日は浦和から歩き始め、大宮の氷川神社に寄り道するため、大宮まで歩いて終わりとする。

浦和からの街道沿いはすっかり市街地化され、ビルの谷間を進むことになる。 途中さいたま新都心の高層ビルを眺めながら、やがて氷川神社の一の鳥居が見えると、大宮宿はもう近い。

この氷川神社の参道は中山道の古道だったそうで、約2キロに及ぶケヤキやクスノキの並木が続く。

旅行日:2014年9月30日

目次

区間データ

日付区間宿間距離万歩計地図
2014/9/30浦和宿~大宮宿1里10町5.0Km14,977歩Map
合 計1里10町5.0Km14,977歩
日本橋からの累計7里16町29.2Km65,629歩

浦和駅前を出発

JR浦和駅から、前回の続きを開始する。 9月末とはいえ、まだ強い日差しの下を歩くと汗が出る。 日陰を拾いながら大宮を目指して歩き始める。

歩き始めると、踏切のある家に出くわした。 鉄道模型の店だった。 さすが・・・

鉄道模型店

浦和レッズ

歩道上に浦和レッズ選手の足型を持つモニュメントが並ぶ。 人形は「レディア」という名の、チームマスコットだそうだ。

浦和レッズ

針ヶ谷の庚申塔

正徳4年(1713)建立の青面金剛立像。 下に三猿が彫られている。

針ヶ谷の庚申塔

一本杉の仇討

現在は杉はないが、車道側に向けて「一本杉」と彫られた石碑が立つ。 水戸藩士・宮本佐一郎の息子・鹿太郎が、ここで見事仇討を果たしたそうだ。

一本杉の碑

さいたま新都心

左手にさいたま新都心を望むようになると、立派なケヤキ並木が現れる。 9月とはいえ、まだ暑いので木陰に入るとホッとする。

ケヤキ並木

JRの線路を挟んで、さいたま新都心の高層ビルが立ち並ぶ。

さいたま新都心

火の玉不動とお女郎地蔵

歩道上の小さな屋根に、2つの石仏が祀られている。 由縁が書かれていたが、長くなるので省略。

火の玉不動
火の玉不動

大宮宿が近づく

氷川神社 一の鳥居

氷川神社参道入り口に立つ一の鳥居。 参道には入らず、まっすぐ街道を進む。

氷川神社一の鳥居

加賀前田藩の屋敷門

加賀前田家の上屋敷から貰い受けたという屋敷門が残る。 加賀藩上屋敷は現在の東大で、赤門が有名である。 この門はどこにあったのだろうか?

加賀前田藩屋敷門

塩地蔵(左)と子育て地蔵(右)

二人の娘を連れた父が、旅の途中で病に倒れた。 夢枕に現れたお地蔵様のお告げで、娘が”塩断ち”すると病は全快したと伝わる。

塩地蔵と子育地蔵

大宮宿

大宮宿は、古くは氷川神社の門前町として栄え、寛永年間に宿駅制ができてからは宿場町として賑わった。

最盛期には本陣1軒、脇本陣9軒と賑わったが、今は昔の面影を探すことは難しい。

涙橋

説明版によると、吉敷町の町外れに処刑場があり、罪人の親類縁者と別れを惜しんで涙を流した橋が、いつしか「涙橋」と呼ばれるようになったとのこと。

石碑の下に置かれた石が、実際に使われていた橋の一部なのだろうか?

涙倍の碑

高島屋と本陣跡

大宮中心街に近づき、高島屋が見えてくる。 高島屋のある交差点を左折すれば大宮駅だ。

大宮中心街

大宮の高島屋は、大宮宿の北澤本陣跡に建っている。

大宮高島屋

高島屋交差点を越えて次の路地に入ると、大宮宿で最初に本陣を務めた臼井家本陣跡がある。

本陣跡

武蔵一宮 氷川神社へ

高島屋のある交差点を右に曲がり、「武蔵一宮 氷川神社」に向かう。

「一宮(いちのみや)」とは神社の格式を示すもので、その地域の中で最上位の神社で、次に「二宮」「三宮」と続くそうだ。

初期中山道だった氷川神社参道

江戸時代初期には、この参道が中山道だった。 しかし神域を避けるため、現在の旧中山道に付け替えられた。

氷川神社参道

参道の中間点に立つ「二の鳥居」は、木造では関東一の高さを誇る。

氷川神社二の鳥居

神楽殿の向こうに氷川神社本殿が建つ。

大宮氷川神社

氷川神社の裏参道と旧中山道の合流点に、「官幣大社 氷川神社」の石碑が立つ。

大宮宿手前にあった参道入口から、この裏参道にかけての道が、古中山道なのだろう。

裏参道出口

これからの旅の無事を氷川神社に願った後、神社を一周して街道に戻り、大宮駅から帰途につく。

蕨宿は意外と良い雰囲気を残していたが、浦和宿や大宮宿には昔の姿を偲ぶものは殆どなかった。 この先に期待しよう・・・

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