小石川門 甲武鉄道時代の鉄橋が今でも現役で活躍する

小石川門跡

電気の街から、アニメやオタク文化に様変わりした秋葉原。 最近は訪れることは少なくなったが、パソコンを自作していたころは良く通った街である。

この秋葉原の南側を流れる神田川を渡ると旧交通博物館跡地で、さらに昔は甲武鉄道の万世橋駅であった。

ここは三十六見附の一つである筋違橋門があったが、ここから次の小石川門を目指す。

訪問日:2014年2月19日

目次

筋違橋門跡

旧交通博物館跡地

旧交通博物館跡地は、昔の甲武鉄道の万世橋駅で、「マーチ エキュート 神田万世橋」というお洒落な商業施設に生まれ変わった。

旧万世橋駅は昭和18年に廃止されたが、ホームや階段などの駅施設の一部が残り、デッキとして整備されて公開されている。

浅草橋から続いた柳原土手の大半は崩されてしまったが、中央線の神田から万世橋にかけての高架の一部は、柳原土手が利用されているそうだ。

旧万世橋駅跡

筋違橋門跡

レンガ造りの中央線高架に沿って進むと、歩道上に筋違橋門跡を示す案内板が立つ。 この道はかつての中山道である。

筋違橋門跡

昌平坂

昌平橋から御茶ノ水方向を見る

左を走る電車は中央線。 上の鉄橋は総武線各駅停車が走る。 鉄橋下に美しいアーチを描く橋は聖橋で、その聖橋の下を地下鉄丸ノ内線も走る。

運が良ければ、3路線の電車が交差するシーンを見ることができる。

神田川

昌平坂

昌平橋を渡り、神田川沿いに湯島聖堂を目指す。 湯島聖堂の手前を神田明神方向に右に曲がると昌平坂で、坂の手前に小さく石柱が立つ。

もっとも近辺にいくつか坂があるが、どの坂が昌平坂なのか明確ではないそうだ。

昌平坂
昌平坂

湯島聖堂

5代将軍・綱吉により建てられた。 孔子を祀る孔子廟で、幕府はここに儒教の学問所を設け、昌平坂学問所と呼んでいた。

孔子像

世界で一番大きな孔子像らしく、台湾から寄付されたものである。

湯島聖堂

入徳門

漆塗りの入徳門をくぐって大成殿へ。 この入徳門は宝永元年(1704)に建造され、湯島聖堂内で唯一残る木造建築である。

湯島聖堂入徳門

大成殿

孔子が祀られている大成殿。 なかなか荘厳な雰囲気を持っている。 土日・祝祭日には公開されるが、あいにく訪れたのは平日であった。

この大成殿は関東大震災で焼失し、現在の建物は昭和10年に再建されたもの。

湯島聖堂大成殿

鬼犾頭と鬼龍子

大成殿の屋根に注目すると、怪獣がにらみを利かせている。

写真左側は「鬼犾頭(きぎんとう)」と呼ばれ、頭から水を噴き出して火災から建物を守っている。

右の写真は「鬼龍子(きりゅうし)」と呼ばれる聖獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるそうだ。

鬼犾頭
鬼龍子

神田川沿いに水道橋へ

仙台堀

御茶ノ水から水道橋方向を眺める。 深い谷間を神田川は流れているが、江戸城防衛のため本郷台地の一角を掘り下げた人口の川である。 この工事を担当したのが仙台藩の伊達政宗だったので、仙台掘とも呼ばれている。 

この掘削で出た土砂で日比谷入江を埋め立て、日本橋から銀座一帯の土地が生まれた。

仙台堀

神田上水懸樋跡

神田川沿いに水道橋方向へ御茶ノ水坂を下ると、白山通り手前に「神田上水懸樋跡」碑がある。

江戸時代に木製の樋を神田川の対岸に渡して、日本橋方面に給水していた。 これが水道橋という地名の由来だそうだ。

神田上水懸樋跡

三崎稲荷神社

江戸城外堀工事が始まると、築いた堤防が次々と崩れたそうである。 そこでこの神社に祈祷すると事故は収まり、工事は完成したと言い伝えられている。

幕末にこの一帯に講武所が置かれ、剣術や槍術、砲術などを教えていたそうだ。

三崎稲荷神社

小石川門跡と甲武鉄道時代の鉄橋

神田川と日本橋川の分岐点のすぐ西側にある、総武線と中央線のガード付近に小石川門があった。 しかし残念ながら現在は全くその面影はない。

小石川門跡

枡形はこのガードの辺りにあったようだ。

ガード右側の石垣は飯田橋駅に向けて続くが、外堀の土塁跡である。 この土塁の上を中央線や総武線が走っている。

小石川門跡

現役の甲武鉄道時代の鉄橋

神田川から分岐する日本橋川に架かる鉄橋は、ドイツ製のトラス橋。

「小石川橋通架道橋」という名で、甲武鉄道開業の1904年に架けられたが、現在もこの上を電車が走る現役である。

小石川橋通り架道橋

次は徳川御三家のひとつである、水戸徳川家の上屋敷であった小石川後楽園に寄り道して、飯田橋の牛込門に向かおう。

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