角館 武家屋敷の残る街を歩く

角館

乳頭温泉に一泊して秋田駒ケ岳に登った帰り、さらに角館に一泊して武家屋敷を散策した。 時期は6月末なので、枝垂桜はすっかり葉桜であるが、観光客の少ない静かな角館を楽しむことができた。

角館の歴史を調べると、元和6年(1620)に久保田藩主・佐竹義宣の実弟である芦名義勝が今に続く町並みを作り、その後佐竹一族である北家の城下町として栄えたという。

有名な観光地であるが、訪れた時は観光客も少なく、静かな角館散策を楽しむことができた。

訪問日:2017年6月28日

目次

「あきた美人ライン」から名称変更

秋田駒ケ岳から下山し、JR田沢湖駅から角館へ向かう。

秋田新幹線で行けばよいのだが、新幹線はつまらないので1本見送って、在来線で角館を目指すことにした。

JR角館の駅は変哲もない駅舎だが、すぐ隣に「あきた美人ライン」の愛称を持つ内陸縦貫鉄道の駅があり、風呂屋のように入り口に暖簾を掛けた駅舎がある。

あきた美人ライン

この「あきた美人ライン」の愛称は、「秋田スマイルレール秋田内陸線」へと、愛称名が変更されるそうだ。

角館の町割り

角館に入った秋田藩主・佐竹義宣の実弟である芦名義勝は、それまでの地が不利と考え、現在の地に新たな城下町の拓いた。

町は武家町と商人町に区別され、その境目に「火除け」の広場を設けて南北を分離した。

・「内町」:芦名家の侍が居住。 武家屋敷観光の中心。

・「田町」:佐竹藩直臣の武士団(今宮家臣団)が居住。

・「外町」:商人町

武家屋敷の並ぶ「内町」

深い木立に覆われた武家屋敷が並ぶ「内町」。 この木立の下に黒塀が続く。

上・中級武士の屋敷だったそうだが、モミの大木と枝垂桜が涼しげである。 モミは樹勢が強いので、武士に好まれたそうだ。

この「内町」は角館を造った芦名氏の家臣が居住していた地区で、その多くは芦名氏断絶後に入った佐竹北家に仕えたそうだ。

町中を南北に走るこの道幅は11メートルあるそうで、江戸時代から変わりはないとのこと。 しかし防衛上のためか、東西に抜ける道はないそうだ。

角館

小田野家

武術によって仕えた中級武士の家で、かつては門内に道場を持っていたそうである。

またこの家から輩出された「小田野直武」は、杉田玄白らが翻訳した「解体新書」の挿絵を描いたそうだ。

小田野家

庭を通って隣の河原田家へ続く見学コース。 京都の寺院の庭を連想させる。

小田野家

河原田家

芦名氏に仕えた譜代だが、芦名氏断絶後、佐竹北家に仕えた。 芦名氏の下では番頭や寺社奉行などの要職に就き、150石を拝領したという。

河原田家
河原田家

青柳家

河原田家同様に、芦田家譜代から佐竹北家に仕えた上級武士だそうだ。

正門の薬医門は、国内外に知られた秋田の象徴だそうで、道沿いの塀には武者窓と呼ばれるのぞき窓が付いている。

青柳家
青柳家

蔵の屋根は大きく張り出し、下から支えられている。 また漆喰壁の下半分は板で覆われ、雪対策かと思われる。

青柳家

石黒家

佐竹北家の勘定役であった石黒家には正玄関と脇玄関があり、二つの玄関を持つことは身分の高い武士の証だそうだ。

係の方から建物や生活様式などの説明が行われ、来訪者の身分や格式により、玄関を使い分けたなど、興味深い話が聞けた。

石黒家

欄間からの灯りが絵となって壁に映る。 昔は蠟燭の灯りでゆらゆら揺れ、更に綺麗だったことだろう。

石黒家

馬つなぎ石

名前の通り、馬をつなぎ止めた石。 この馬つなぎ石は通りに置いてあるが、上の石黒家では門の内側に置いてあった。

馬つなぎ石

「究極の親子丼」を食す

比内地鶏を使った「究極の親子丼」が人気という「桜の里」でランチ。

比内地鶏の卵を3つ使用しているとかで、濃厚な黄身がトロトロで実に美味しそうである。 しかし味付けはアッサリしており、個人的にはもっと味が濃いほうが好きだ。 「なか卯」の親子丼のほうが味が濃くて良い・・・と感じたのは寂しすぎるか???

究極の親子丼

田町武家屋敷通り

角館には「内町」の武家屋敷群とは別に、街の南側の「田町」に「今宮家臣団」と呼ばれる80騎ほどの武士団が移り住んだ。

この「今宮家臣団」は、角館を領する芦名氏や佐竹北家とは一線を画す、秋田藩主・佐竹氏の直臣だそうだ。

角館は「内町」の武家屋敷が有名だが、この「田町」も武家屋敷の風格を持つ町並みを持っている。

西宮家

「今宮家臣団」の中で重きをなした西宮家。 「寺山五十五騎」と呼ばれた中心武士団に名を連ねた。

西宮家

太田家

仙北地方の大地主だったそうで、立派な黒塀と銅藁きの薬医門を持つ。

太田家

田町武家屋敷ホテル

武家屋敷の跡地に建てたというホテル。 角館ではここに一泊して、お世話になった。

田町武家屋敷ホテル

このページの一番上のタイトル写真は、このホテルの向いに建つ家である。

町人の街「外町」

「外町(とまち)」は、内町の武家屋敷と異なり、商家などを集めた町人町である。 しかし藩政時代の町家は殆ど焼失し、現在は明治以降に防火対策を考えて建てられた、蔵を中心に残るそうだ。

安藤味噌醤油醸造元

明治15年に全焼し、その後火災に強い煉瓦造りで再建された。 嘉永6年創業以来、醸造に使用している仕込水が店の前に流れる。

安藤味噌醤油醸造元

店内に入ると、立派な座敷蔵が目を引く。 他に文庫蔵なども公開されている。

座敷蔵

簾戸(すど)に変えられ、夏仕様となった涼しげな座敷。 ここで昼寝したい・・・

安藤味噌醤油醸造元

イオヤ(伊保商店)

大正13年に大谷石で建造された伊保商店。 雑貨店だそうだが、角館の中では非常に目を引く建物である。

大谷石の家

主に中・上級武士の家を見て回ったが、家の立派さには驚いた。 武士の格が違うのだろうが、中山道の安中で見た武家屋敷は長屋であり、千葉の佐倉市に残る武家屋敷とは、敷地や建物の広さが違っていた。

また「今宮家臣団」とか「寺山五十五騎」といった武士団の名を見ると、常に戦いが身近に存在した武士の暮らしや、結束の強さなどが伝わってくる角館であった。

 

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