中山道 第11宿 新町宿 滝川一益と神流川古戦場跡

新町宿

秋晴れの本庄駅に降り立ち、10Kmにも満たない短い距離であるが新町宿を目指す。

この新町宿までの間に埼玉県から群馬県へと入り、律令国でいえば「武蔵国」から「上野国(こうずけ)」へと変わる。 つまり”空っ風”で有名な上州である。

江戸時代の人は板橋宿を出た後、桶川、深谷辺りに宿泊して、2泊3日程度で群馬へ入っていたようだ。 それに比べ、私は8日も要してしまった。

旅行日:2014年11月14日

目次

コースデータ

日付区間宿間距離万歩計地図
2014年11月14日本庄宿~新町宿2里7.9Km16,623歩Map
日本橋からの累計23里31町93.7Km141,680歩

本庄宿を出発

前回の終了地点である本庄駅に降り立ち、抜けるような青空の下、新町宿目指して歩きだす。

本庄の町並み

軒下に面白い看板を掛ける店があった。 製麺所である。

製麺所

金鑚神社。 ”かなさな神社”と読む。 社殿は立派な彫刻で飾られ、本庄の鎮守様として親しまれているそうだ。

金鑚神社

新町宿への街道風景

本庄市街を抜け、街道風情の増した風景を楽しみながら歩を進める。

街道風景

浅間山古墳 石室は賭博場・・・

神保原の浅間山(せんげんやま)古墳。 7世紀前半に造られた横穴式石室を持つ円墳。

江戸時代には、この石室内で夜な夜な賭博が行われていたらしいが、直刀や銅椀、耳環、玉などが出土されたという。

浅間山古墳
浅間山古墳

涙橋跡と石塔群

泪橋跡という、石の欄干の一部が残る。 案内板にによると、近在の人々が伝馬役に苦しみ、 橋に憩い涙したと書かれている。 現在 川はどこにも見当たらない。

泪橋跡

大きな庚申塔や、祠の前に参道のように並ぶ石塔群を見ることができる。

庚申塔
石塔群

金窪神社 

本殿側面には立派な彫刻が施されている。 これは東京の湯島天神が発注したものだが、サイズが合わなかったため使い物にならず、金窪神社がこれをもらい受けてはめ込んだという。

また拝殿の天井絵は狩野派が描いたといわれ、暗い天井にカメラを向けると、よく見えなかった絵が浮かび上がった。

金久保神社
金久保神社

陽雲寺 武田信玄正室の墓?がある

金窪神社の先に「三国道入口」と彫られた、新しい道標が立っている。 越後に向かう三国街道に通じる道だったようだ。

三国街道分岐

陽雲寺には武田信玄の継室、つまり後妻だった陽雲院の墓があり、97歳でこの陽雲寺で亡くなったとある。

しかし調べると、山梨の甲府市にある円光院にも墓があり、ここに埋葬されている陽雲院は信玄に先立つこと3年、50歳で亡くなったそうだ。

はて? どっちが本物だ??

陽雲院の墓

天王社と勝場一里塚跡碑

煙出し櫓を持つ家の横には、二十二夜塔と庚申塔が並ぶ。

街道風景

すぐ先の小さな祠の横に、日本橋から23里の勝場一里塚跡碑が立つ。 遺構は何もなく、跡地に立つ祠は天王社だという。

勝場一里塚跡

神流川古戦場跡 信長四天王の一人・滝川一益敗れる

神流川に架かる国道17号の橋を渡り、武蔵から上野 つまり現在の埼玉から群馬に入る。 群馬といえば、尾瀬や谷川、上州武尊、荒船山や妙義、下仁田の山々などの名を思い浮かべる。

神流川の両岸には常夜灯が設けられ、夜に火を灯すと両岸が良く見通せたので、「見透灯籠」と呼ばれていた。 灯篭の左には、遠く浅間山が見えている。

神流川橋

群馬県に入る

橋を渡ると群馬県の高崎市に入る。 いよいよ上州である。

群馬県境

神流川古戦場跡

本能寺の変で信長の死後、関東管領・滝川一益と北条氏直が激突した戦場跡。 この合戦は戦死者が両軍合わせて4 千余人を数え、戦国時代関東における最大の激戦と言われている。

敗れた滝川一益は清州会議にも遅れ、織田家での地位は失墜した。

神流川古戦場跡碑

新町宿に入る

新町宿は江戸から数えて11番目、中山道69次の中で最も新しくできた宿場町である。

この「新町」という名の由来は、中山道の中では最も遅く成立した新しい町ということらしいが、何も考えずに付けたような名である。

国道17号沿いに「新町検問所」と書かれた不思議な建物が・・・ 何を検問していたのか? スピード違反より過積載の監視か?

新町検問所

新町検問所のある所から右への分岐が新町宿入口。

復元された新町宿道標と常夜灯が立ち、道標には「従是左江戸二十四里 右碓氷峠十一里」と刻まれている。

新町宿入口

児童公園の滑り台に大トカゲがへばり付いていた。 幼い子供が遊ぶには、少し勇気が必要だろう。

オオトカゲ

諏訪神社には、元禄15年(1702)と享保16(1731)に建造された2基の鳥居が、土に埋められて保存されている。 現在の石の鳥居は3代目だそうだ。

諏訪神社

ガラス戸ばかりで、耐震性の無さそうな民家。 明治11年に明治天皇が北陸・東海巡幸の際の行在所である。  本陣以外の宿泊は珍しいそうだ。

明治天皇行在所

残念ながら新町宿には古い建物などは少なかった。 まぁ「新町」だから ・・・

新町宿

街道から望む山々

この日は大変天気が良く、上州の山々を望みながら歩くことができた。

関東平野も終わりに近づき、山好きな私にとっては、これから先が楽しみである。 しかし季節はこれから冬。 今年は高崎宿でいったん中止し、来春に残雪の山々を眺めながら進む予定である。

国道17号に架る歩道橋の上から見る浅間山。

浅間山

赤城山。 右端にポコンと出ているのは日光男体山だろう。

赤城山

榛名山。 中央に綺麗な形をした榛名富士が見える。

榛名山

異様というか、怪異な姿を見せる妙義山。

妙義山

徐々に山が近づき、これからが楽しみとなってきたが、この日はここで終了。 遅めの昼食を済ませ、JR新町駅より帰途につく。

JR新町駅

昼食に入った店の壁に新聞の切り抜きが貼ってあり、その店のソースかつ丼が紹介されていた。

ソースかつ丼は知っていたが、まだ食したことが無い。 そこで早速注文。 食べた感想は・・・ 玉子大好き人間な私には、卵でトロトロにとじた普通のかつ丼の方が美味しいと思った。

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