蕨宿を出て、次の浦和宿を目指す。 この蕨から浦和にかけての街道は、現在の国道17号を通らずに歩くことができる。
17号は歩道はしっかりしているが、交通量が多くてうるさい。 もちろん排気ガスも多く、できれば避けたい道である。
浦和宿手前に調(つき)神社がある。 昔の税制である租庸調の「調」の集積所だったことが名の由来だそうだ。 「租庸調」という言葉は、中学か高校で習って以来と思うくらい、久し振りに聞く言葉である。
旅行日:2014年9月22日
区間データ
- 日 付 :2014年9月22日
- 街道地図 :板橋宿~蕨宿~浦和宿
- 宿間距離 :板橋宿~蕨宿 2里10町(8.9Km)
- :蕨宿 ~浦和宿 1里14町(5.5Km)
(合計) 3里24町(14.4Km) - 日本橋から:累計 6里6町(24.2Km)
- 万歩計 :25,189歩
蕨から浦和へ
蕨宿を出発し、国道17号を渡り浦和の六辻を目指す。 国道17号を渡っても、少しだけ街道風情を残している。
辻一里塚跡
外環道交差点の手前に、日本橋から5つ目の「辻一里塚」跡の碑が立つ。
焼米坂
六辻を越え、焼米坂を上る。 昔このあたりで、焼米を売っていたそうだ。
焼米とはどの様なものか? 私は焼きおにぎりを想像したが、調べると籾の付いたままの米を煎り、殻を取り去った保存食だそうだ。
先に進むと、街道沿いに立派な屋根を持つ古い商店が現れた。
調(つき)神社
浦和の手前に調神社がある。 鳥居も狛犬もない神社である。
昔、伊勢神宮に献上する調物(貢物)の集積場所に定め、調物の運搬に妨げになるので鳥居がないそうだ。
また「調」を「つき」と読むことから、狛犬ではなく「狛兎」が祀られ、勝負事の「ツキ」にも通じるので、浦和レッズの選手が必勝祈願に訪れるという。
お帳場を持つお店が残る
調神社の少し先に、昔のお帳場のような雰囲気を持つお茶屋さんがあり、その向かいにも古そうな家が残っている。
浦和宿に入る
浦和駅西口
浦和宿の入口だが、全くその面影はない。
歩道上の石碑が、かつて宿場であったことを示している。
浦和宿本陣跡
街道から少し奥まった公園に、ひっそりと説明版がある。 加賀前田家や皇女和宮が休憩したと説明されている。
野菜を商う女性像
カボチャとサツマイモだろうか? 歩道上で野菜を売っている。 結構大きくて、リアルにできていた。
浦和宿二・七市場跡
毎月ニ・七の付く日に市が立ち賑わい、月に6回開かれるので「六斎市」と呼ばれる。(浦和市教育委員会)
鳥居の奥に市場定杭と市神様が建てられている。
埼玉県に入り最初の宿場である蕨宿は、思っていた以上に街道の雰囲気を残していた。
しかし浦和の街は見事に都会化され、旧街道を彷彿とさせるような建物は少ない。 これから大宮を過ぎるまでは、ほとんど市街地の中を進むことになるだろう。
この日はここで終了し、浦和駅から帰途につく。
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