桶川を過ぎたあたりから、自転車で中山道を進むことを考えていた。 しかし前回桶川まで輪行した時、朝早くに関わらず下り電車は混んでいた。 土曜日や休日なら良いのだろうが、高崎線の平日に自転車を持ち込むのは、ちょっと迷惑を掛けすぎる。
そんな訳で、再び歩いて街道を進むことにした。 またこの季節は日も短いので、早めに歩き終えることにして、1日に1宿分だけ歩を進めることにした。 江戸時代の人達のように、もっと早起きして家を出ればよいのだが、どうも私はナマケモノなので・・・
旅行日:2014年10月29日
コースデータ
日付 | 区間 | 宿間距離 | 万歩計 | 地図 | |
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2014/10/17 | 熊谷宿~深谷宿 | 2里27町 | 10.8Km | 19,328歩 | Map |
日本橋からの累計 | 19里5町 | 75.2Km | 105,458歩 |
深谷宿を目指して
9時半過ぎに熊谷駅に到着。 トイレを済ませ、身支度整え、筑波交差点から歩き出す。
熊谷の八木橋百貨店は旧中山道の上に建てられた。 そのため店舗内を中山道が貫いている。
百貨店の開店直後を店舗内の旧中山道を通る。 開店直後なのでお客はまだ少なく、店員から「いらっしゃいませぇ~」と声を掛けられながら裏口へと進む。
百貨店を抜けると、「一番街」と書かれた商店街に入る。
秩父道標と新島一里塚
秩父往還と中山道の分岐点に「秩父道標」や「宝登山道」の碑が立つ。
「秩父道標」には、「ちゝふ(秩父)道、志まふ(四萬部寺)へ十一(里)」とあり、四萬部寺は秩父巡礼の礼所1番で、巡礼は先ずここを目指したという。
無残な姿の新島一里塚。 日本橋から17里である。 平成22年9月の雷雨で折れたようだが、さぞかし立派なケヤキだったのだろう。
秋の街道風景
街道風情の増した沿道に、秋の実りが色を添える。
深谷宿で一晩共にした飯盛女との別れを惜しんだという「見返りの松」 先代の松は枯れ死したので、現在は2代目だそうだ。
深谷宿に入る
深谷宿に到着である。 江戸方には大きな常夜灯が立つ。 高さは4mほどで、中山道で最大級だそうだ。
だいまさ米店
江戸時代から続くお米屋さんで、敷地の裏手には蔵が続く。
深谷本陣跡
深谷宿は本陣 x 1、脇本陣 x 4、旅篭 x 80軒もあり、旅篭の数は草津・大津を除いて中山道で最も多かった。
深谷宿の町並み
深谷駅入口となる仲町交差点を過ぎると、連子格子や土蔵のある家が何軒か残っている。 また造り酒屋などもあり、街道風情が盛り上がる。
「なんでも鑑定団」に出てくる、お宝が眠っていそうな蔵が残る。
ガラス戸を通して見る景色は、少し歪んで見えることだろう。
3階建ての蔵があった。 深谷信用組合倉庫の解体レンガを再利用して、昭和8年に建てられたそうだ。
街道風情を醸し出す連子格子の家。
レンガの卯建が1階から2階まで伸びている。 このような卯建は何と呼ぶのだろうか?
元禄7年(1694)創業という七ツ梅酒蔵跡。 平成16年に廃業し、300年の歴史を閉じた。 残念・・・
銘酒「菊泉」蔵元 滝澤酒造
街道沿いに建つ、銘酒「菊泉」の蔵元である滝澤酒造。 これは寄らないといけない・・・
店内に並ぶお酒の数々。 もちろん試飲させてもらえる。
自分用の土産に一本購入。 美味そうだ・・・
東京駅風駅舎を持つJR深谷駅
深谷までの街道歩きを終え、JR深谷駅から帰路につく。
そしてJR深谷駅に着いて、「何故こんな立派なんだ!」と驚いた。 しかし説明を見ると、コンクリートにレンガ風タイルを貼った、いわゆる「なんちゃって・・・」な駅であった。
明治から昭和にかけての実業家として知られる渋沢栄一は、この深谷市出身で、明治20年(1887)に日本煉瓦製造株式会社を設立して、この深谷に工場を開設した。
そして 明治から大正にかけて建てられた東京駅や多くの近代建築は、この深谷で生産されたレンガを用いたそうだ。
深谷といえば「深谷ネギ」が有名だが、実はレンガとも深いゆかりがある町だそうである。 そのため駅舎もレンガ調にしたようだ。
桶川と同じように、街道の雰囲気を数多く残す深谷宿であった。 また遠くにあった赤城山も少しずつ近づき、これから先がますます楽しみになる。
自宅に帰ったら、土産に購入した滝澤酒造の酒で一献傾けながら、この日の歩き旅を振り返ってみよう。
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