中山道 第16宿 松井田宿 侍たちのマラソン大会「安政とおあし」

日本橋から高崎までは殆ど町中を歩いてきたが、高崎からは徐々にローカル色が増してきた。 そして安中宿から松井田宿の間ですっかり都市部を抜け、のどかな街道風景を楽しみながら歩けるようになった。

この松井田宿は日本橋から16番目の宿場で、信州各藩からの年貢米が集められ、この年貢米の半分は松井田宿で換金されたので「米宿」との異名もあった。 年貢米の残り半分は倉賀野宿まで運ばれ、烏川と利根川を利用して江戸に運ばれたという。

旅行日:2015年10月3日

コースデータ
  • 日 付  :2015年10月3日
  • 街道地図 :安中宿~松井田宿
  • 宿間距離 :板鼻宿~安中宿  0里30町(3.3Km)
         :安中宿~松井田宿 2里16町(9.6Km)
  • 日本橋から:累計 32里0町(125.7Km)
  • 万歩計  :22,195歩

(注)宿間距離は天保14年(1843)「中山道宿村大概帳」を参考とし、現在の道路距離とは異なる。

目次

新島襄旧宅を訪れる

安中宿を出発し、途中街道を右に入って、同志社大学の創立者である”新島襄”の旧宅を訪れる。

ボランティアガイドさんに「新島襄の生家か?」と聞くと、「新島襄の生まれは江戸の安中藩屋敷だが、米国から帰国後、この家にしばらく滞在した」とのことであった。

新島襄旧宅

新島襄は米国に密出国し、米国滞在中にクラーク博士と知り合い、その縁でクラーク博士は札幌農学校に来たそうだ。

安中原市の杉並木と安政遠足

安中原市の杉並木に入ると、歩道上に道祖神など3基の石塔が立つ。

安中原市杉並木

沿道の給水タンクには、安中藩士が碓氷峠目指して駆け上がる「安政遠足(とおあし)」の様子が描かれている。

今は「安政遠足侍マラソン」として、安中の武家長屋から碓氷峠の熊野神社までの約29Kmを、仮装して走る大会が毎年開かれているそうだ。

安政遠足
安政遠足(とおあし)

安政2年(1855) 安中藩士の鍛錬を目的に、96名の藩士が安中城門から碓氷峠の熊野神社まで駆け上がって順位を競った。 今でいうマラソンの発祥である。

実際には順位やタイムは重要視されず、「参加することに意義がある」的なものだったようである。

また一斉スタートではなく、数人のグループに分け、1日1グループが出発したそうである。

碓氷峠から馬や駕籠で帰ることは許されず、要は走って往復だし、侍なので刀を持って走ったろうから、結構しんどかったことだろう。

安中原市の杉並木

安中原市の杉並木は、天然記念物に指定された1933年当時は321本あったそうだが、残念ながら現在は十数本を残すのみである。

バイパスなどで交通量は減少しただろうが、生活道路としてある程度の交通量があるようだ。

根元をアスファルトに覆われ、排気ガスを浴び続けば、巨木とはいえ耐えられないのだろう。

安中原市杉並木

伐採された理由は不明だが、杉の気持ちを考えると、さぞかし無念だったことだろう。

安中原市杉並木

のどかな街道風景

高崎から徐々に沿道の景色はローカル色を増し、ついに都市部を抜けたようである。

杉並木を抜けると、のどかな街道風景が待ち構えていた。

安中原市

原市高札場跡

茶屋本陣だった五十貝家の前に、高札場跡と明治天皇原市御小休跡碑が立つ。

原市高札場跡

真光寺の鐘 戦時中の供出を免れた

戦争中に供出を免れたという真光寺の鐘。 お寺のすぐ横には教会がある。

真光寺の鐘

八本木立場茶屋 お茶漬けが名物だった

街道沿いにの八本木旧立場茶屋。 当時は“志がらきお茶漬”が名物だったそうだ。

八本木旧立場茶屋

茶屋の向かいには、100年に一度御開帳されるという、延命地蔵を祀る八本木地蔵堂がある。 100年に一度なので、見ることは叶いそうもない。

のどかな街道風景が続く

松井田宿へ
松井田宿へ

道祖神と百番供養塔。 百番供養塔とは何かを調べると、百観音巡拝記念で建立したものだそうだ。

百番供養塔

上州は空っ風が有名だが、その空っ風を防ぐ壁が立つ。 何の木か判らないが、横から見ると厚さ50Cm程度に刈り込まれている。

街道風景
街道風景

交通量もぐっと減り、沿道には味のある家屋が増えてきた。 建て替えや解体されずに、いつまでも残したい街道風景である。

妙義山の眺め

碓氷川を見下ろした向こうに、独特な姿をした妙義山の眺めが良い。

妙義山

国道18号から細い旧街道に入ると、石仏・石塔が多く並ぶ。

旧中山道

街道沿いの草むらに、置き忘れたかのように庚申塔と道祖神が立つ。 何気ない風景だが、街道の風情を豊かにしている。

庚申塔

松井田宿に入る

慶長7年に碓氷峠越えの道が中山道として制定されると、松井田に宿が開かれた。 また妙義神社参拝の拠点であり、街道を行きかう旅人だけでなく、妙義山の登山口としても賑わったそうだ。

妙義山登山口の看板が残る

下町交差点の先で、左に入るT字路が妙義山への登山道入り口であった。 角の民家2階には「妙義登山口」の看板が残る。

松井田宿

松井田宿の町並み。

松井田宿
松井田宿

今回の歩き旅は、松井田宿の仲町交差点まで。

JR松井田駅に向かって仲町交差点を左に曲がると、黒塗りの立派な家が現れた。

JR松井田駅。 ここから高崎に出て、新幹線で帰途に就く。

お土産は「とおあし最中」

安中の街道沿いにあった和菓子屋「小野屋」さんの看板に「とおあし最中」とあり、気になったのでお土産に買って帰る。

侍が走る姿が描かれた包装で、餡が非常に美味しいお菓子であった。

とおあし最中

ずいぶん長い間、旅行というと車が中心で、私鉄を含め在来線を利用することは殆んど無かった。

しかし街道歩きでは距離が伸びるにつれ利用する鉄道も変化し、碓氷峠を越えればしなの鉄道や小海線なども利用する。

徐々に山々が近づき、その眺めも楽しみだが、ローカル鉄道に乗るのも楽しみである。


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