前日に小田原から箱根湯本の早雲寺まで歩いたが、いよいよ箱根越えの本番である。 しかし「箱根越え」といっても、この日は芦ノ湖畔の箱根宿までである。
江戸時代、箱根湯本の三枚橋をスタート地点として、箱根峠までの道は「箱根東坂」、箱根峠から三島宿までを「箱根西坂」と呼ばれていた。
上るにしても下るにしても、でこぼこの急勾配の道は、女性や子供はもちろん、男性でもかなりの試練だったはずである。
そこで雲助が活躍した訳だが、現代の箱根路に雲助はいない。 車や電車を使わずに箱根を越えようと思ったら、自分の2本の足だけを頼りに自力で越えるしかない。
旅行日:2025年4月4日

【 箱根 湖水図 】
- 日 付 : 2025年4月4日
- 宿間距離 : 小田原宿 ~ 箱根宿 4里8町(16.6Km)
*このうち早雲寺から箱根宿までを歩く - 日本橋から: 累 計 24里35町(98.1Km)
- 万歩計 : ?????歩
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
いよいよ覚悟を決めて歩き出す
箱根湯本から旧街道経由のバスに乗り、早雲公園前で下車。 早雲寺から前日の続きを歩き始め、いよいよ箱根越えの本番開始である。
青空とはいえないが、前日の雨は上がり、歩くにはちょうど良い天気である。

箱根湯本の共同温泉場「弥坂湯」 入浴料は大人650円だった。

正眼寺の枝垂れ桜。 境内には仇討で知られる曽我五郎・十郎兄弟の供養に建てられた曽我堂と、曽我五郎槍突き石がある。 なぜか無料の足湯もある。

茶屋の双体道祖神と石祠。 双体道祖神は手を繋いで寄り添い、なかなか微笑ましい。

静観荘の横にある、日本橋から22里の湯本一里塚跡碑。 遺構は何も残されていない。

猿沢石畳 最初の石畳が現れる
湯本一里塚跡の先で、右に入る細い道がある。 猿沢石畳の入口で、小田原から箱根を目指す時に、最初に現れる石畳である。

猿沢に向かって下る石畳。

坂を下ると猿沢が流れ、猿橋を渡って沢を越える。

石畳を上り返すと、さきほどの県道に戻る。 石畳の距離は短かったが、この先にたくさんの石畳が待ち受けている。

観音坂から葛原坂を上る
猿沢石畳から県道に戻ると、観音坂の長い上りとなる。 歩道のない県道を、一人黙々と歩く。
観音坂から右手を見下ろすと、「南風荘」や「おかだ」といった奥湯本の温泉街が見える。

南風荘に下る湯場滝通りの角に立つ「観音坂」碑を過ぎると、次は「葛原坂」へと続いている。
坂の途中にある天聖院の山門。 境内を覗くと、キンキラキンに燦然と輝くお寺であった。

初花の瀑碑と鎖雲禅寺
箱根新道の須雲川インター入口を過ぎると、路傍に「初花の瀑碑」が立つ。
浄瑠璃の「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)の主人公、躄勝五郎(いざりかつごろう)の妻・初花が、夫の敵討ち本懐を祈願して水垢離を行った滝の碑だそうだが、滝がどこかは判らなかった。
この浄瑠璃「箱根霊験躄仇討」は全く知らなかったが、「躄」という字も初めて見た。

街道は小さな須雲川の集落に入る。 説明版によると、この集落は往来する旅人に便を供することと、街道の維持管理を目的に拓かれたとある。
さらにその先に霊泉の滝と鎖雲禅寺が現れる。 この鎖雲禅寺には、上に記した「初花」とその夫「躄勝五郎(いざりかつごろう)」の墓があるという。

「女転し坂」 凄い名前が付いている
須雲川の集落を抜けると、「女転し坂」と凄い名前のついた坂である。
雲助が悪さをしたような想像をしてしまうが、「女ころがし」ではなく「女ころばし」と読むようだ。 その名の由来は、馬に乗った女性の旅人が、あまりの急坂で落馬して命を落としたことだそうだ。
この坂は関東大震災で崩落し姿を消したが、現在も急傾斜である。 現在の県道は大きく迂回し、急傾斜を避けている。
女転し坂の県道横にあるのは、箱根大天狗山神社の大鳥居である。

割石坂 曽我兄弟が石を試し切り
女転し坂の急坂を上り切り、箱根天聖稲荷大権現の赤い鳥居を目印に、その先で割石坂へと階段を上って山中の道に踏み入れる。
この「割石坂」の名は、仇討ちのため富士の裾野に向かう曾我兄弟が、仇討ち前に巨石を試し切りをしたと言われる。 刀はボロボロに刃こぼれしなかったのだろうか?

石畳の道となるが、途中に江戸時代の石畳が残る。 石がすり減って丸みを帯びているようだ。

県道合流点にある接待茶屋跡。 街道を行き交う人馬に、無料でお粥や焚火、飼葉を提供した。

大澤坂から畑宿へ
県道のガードレールの切れ目から、左の旧街道へ入る。 次は大澤坂だが、急な荒れた道を滑らないように下る。

下りきると小さな沢に架る木橋が現れる。 街道というより、この辺りは普通の山道である。

沢を渡ると上りに転じ、足元も石畳に代わるが、勾配は結構きつい。

畑宿へ
大澤坂を上り詰め、現れた階段を上ると県道に合流して畑宿に到着である。

県道側から大澤坂方向を振り返る。

畑宿は正式な宿場ではないが本陣もあった。 本陣であった茗荷屋の建物は焼失したが、小さな庭園が残されている

畑宿は寄木細工で有名である。
今から40年ほど前、仕事が忙しくて夏休みが取れなかったとき、妻が幼稚園の2人の息子を連れて箱根に行った。 そして子供たちが「お父さんのお土産」と選んだ寄木細工の小箱が、今でも机の中に置いてある。

箱根湯本の三枚橋から関所に至る道筋が描かれている。 畑宿から関所まで残り5.5Km、約2時間とあるが、この先に七曲りが待ち受けている。 蛇行する道路の間隔の狭さが、急坂で難所であることを想起させる。
車で走ったことはあるが、まさか歩いてこようとは、我ながら思いもよらないことである。

県道から左に分岐する旧道に入ると、とろろ蕎麦が名物の「桔梗屋」がある。 残念ながら開店前で、食することはできなかった。

畑宿の京方はずれにある、日本橋から23里の畑宿一里塚。 復元されたものだが、街道を挟んで左右に塚がある。

畑宿は、箱根湯本の三枚橋から芦ノ湖までの丁度中間ぐらいに位置している。
ここに至るまでも、結構勾配のきつい坂を上がってきたが、この畑宿を出ると、いよいよヘアピンカーブが連続する七曲りが待ち受けている。
さて この七曲りの様子はどうだったのか? 次回に続きます。 お楽しみに・・・
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 畑宿から箱根関所までの後半はこちらを参照 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

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