信濃(信州)– category –
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中山道 第25宿 望月宿 瓜生坂と岩壁にへばり付く弁才天
時が止まったような百沢集落を抜け、更に瓜生坂の山を越えると望月宿である。岩壁にへばり付く弁才天や望月宿の町並みなど、街道風情を多く残す宿場である。 -
中山道 第24宿 八幡宿 重要文化財を持つ八幡神社
八幡宿の名の由来となった八幡神社には、室町時代後期に建てられた高良社が残り、朝鮮半島からの渡来人の社で元々は「高麗社」の意といわれている。 -
中山道 第23宿 塩名田宿 双眼鏡があれば良かった山岳展望の街道旅
岩村田から塩名田に向けた中山道の旅。五月晴れの1日、浅間山や八ヶ岳、更に遠く北アルプスの穂高連峰を眺めながら、爽やかな気分で佐久平を歩く。 -
中山道 第22宿 岩村田宿 武田信玄の遺骨や遺品が出た「龍雲寺」
本陣も脇本陣も無かった宿場であるが、交通の要衝で賑わったそうだ。宿場の面影は失われているが、武田信玄や千石秀久にまつわる寺などが残る。 -
中山道 第21宿 小田井宿 静かな宿場風景が残る「姫の宿」
観光地化されず、静かな宿場風景を残す小田井宿。大名行列の姫君や側女、宮家や公家の姫君の多くが小田井宿で休泊したので「姫の宿」と呼ばれたそうだ。 -
中山道 第20宿 追分宿 北国街道との分去れと飯盛り女で賑わった
追分宿は中山道を行き交う旅人だけでなく、善光寺詣での人たちも加わって賑わった。したがって飯盛女の人数も200~270人もいたという。 -
中山道 第19宿 沓掛宿 ”沓掛”の地名は消え中軽井沢へ・・・
軽井沢宿と追分宿を含め、浅間三宿と呼ばれて栄えた。しかし現在は駅名も地名も「沓掛」は廃止され「中軽井沢」となってしまい、「沓掛」の名を見出すことは難しくなった。 -
中山道 第18宿 軽井沢宿(2) 飯盛女で栄えた宿場から別荘地へ
軽井沢というとさわやかでお洒落な町といったイメージがあるが、昔は多くの飯盛女で栄えた歓楽街だった。軽井沢を訪れる観光客の多くは、恐らく知らないことだろう。 -
中山道 第18宿 軽井沢宿(1) 最後に残された三大難所 紅葉の碓氷峠を越える
中山道の三大難所の一つ、紅葉の碓氷峠を越える日帰り旅。刎石山への急登を登り切れば、あとはハイキング気分で紅葉を楽しみながら峠の頂上を目指す。
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