前回帰途についた信越線松井田駅に再び降り立ち、日本橋から17番目の宿場である坂本宿を目指す日帰り旅。
高崎から徐々に標高は上がっているが、妙義山を間近に見ながら坂本宿へと道は続く。 そして坂本宿を超えると、街道は碓氷峠への山道となる。
いよいよ武蔵、上野と続いた関東平野のどん詰まりである。
旅行日:2015年10月24日
- 日 付 :2015年10月24日
- 街道地図 :松井田宿~坂本宿
- 宿間距離 :松井田宿~坂本宿 2里15町(9.5Km)
- 日本橋から:累計 34里15町(135.2Km)
- 万歩計 :17,674歩
(注)宿間距離は天保14年(1843)「中山道宿村大概帳」を参考とし、現在の道路距離とは異なる。
松井田宿から旅を再開
信越線の松井田駅に降り立つと、秋空の下に妙義山が威容を誇っていた。

前回の終了地点である仲町交差点に戻り、街道歩き旅の再開である。 松井田宿は宿場の面影は薄いが、街道沿いには趣のある旧家が残る。

高札場の説明版があった。 この先が松井田宿の上木戸、つまり京方出入口だったようだ。

歩道橋下から右への脇道に入り、八角円堂があるという松井田八幡宮を訪れる。

街道に戻ると、昭和14年(1939)竣工の旧松井田警察署の建物が現れる。 現在は松井田町商工会として、現役で使われている。

五料茶屋本陣へ
松井田の町を抜けると、街道は徐々にのどかな風景へと変化する。 日本橋から町並み・家並みが途切れることなく続いた中山道も、ようやく街道らしい顔を見せ始めた。
西松井田駅前の先で左に分岐して静かな集落を進むと、道祖神が祀られた溜池が現れる。

この道祖神のすぐ先には日本橋から32里の新堀一里塚があり、南塚が残っているという。 しかし残念なことに、藪に覆われて良くわからなかった。
信越本線の第十中仙道踏切を渡る。


大きな岩の上にお地蔵さまが祀られている。 地図上の旧中山道に面してはいないが、旅人達を優しく見守っていたのだろう。

上信越自動車道の下を潜ると、煙出しの小屋根を持つ民家が現れた。 トタン屋根に葺き替えられているが、旧街道に良く似合う家である。

五料茶屋本陣
五料村高札場跡から右の細い道に入り、信越本線を越えて五料茶屋本陣を訪れる。
五料茶屋本陣は五料村の名主屋敷だったそうで、松井田宿と碓氷の関所の中間に位置し、街道を往来する参勤交代の諸大名や公家たちの休憩所として利用された。
「お西」と「お東」の2棟あり、どちらも修復され、往時を偲ばせる姿を残している。
【五料茶屋本陣・お西】

【五料茶屋本陣・お東】

【雀おどし】
屋根の上には「雀おどし」と呼ばれる妻飾りが付いていた。 塩尻から松本平を中心に多くみられるようだが、ここで見られるとは思わなかった。

横川への道
五料茶屋を後にして、信越本線の終着である横川を目指す。
横川といえば昔から釜めしが有名で、久しく食べていない。 「ヨシッ! 釜めしを食べよう」と、釜めしに釣られて足取りが軽くなる・・・
風に揺らめく満開のコスモスを前景に妙義山が素晴らしい。

夜泣き地蔵と茶釜石
信越本線の榎踏切を渡り、丸山坂を上ると夜泣き地蔵と茶釜石が現れる。
茶釜石を叩いてみたが、叩いた場所が悪かったのか普通の音だった。 しかし変な爺さんが石を打つ姿を見たら、「何やってんだ? 徘徊か?」と不審者に間違われることだろう。

夜泣き地蔵は、昔、馬方が荷のバランスが悪く難儀しながらこの地まで来ると、地蔵の首が落ちていたので重りとして利用した。 その後深谷で荷物を下ろすと、地蔵の首は必要なくなり捨ててしまった。 すると地蔵の首が「五料に帰りたいよ~」と夜毎泣くようになり、哀れと思った深谷の住民が五料に戻して胴体に乗せてあげた。
茶釜石は、叩くと空の茶釜のような音がするので、五料の七不思議のひとつに数えられている。
街道沿いに立つ道祖神や馬頭観音を眺めながら、のどかな街道を進む。



百合若足跡石
その昔、百合若大臣という大男がここで弓を射て、その時踏ん張った足跡石(そくせきいし)が路傍に残されている。 ただの岩の凹みにしか見えないので、写真の掲載はボツとした。

射られた矢は碓氷川を越えて妙義山まで飛び、岩壁に穴をあけたという。 その穴が「星穴」とか「射貫き穴」と呼ばれ、現在も下から見えるそうだ。
おぎのやの「峠の釜めし」
下横川の交差点で信越本線の踏切を渡り、線路沿いに進むと横川である。

街道沿いに「峠の釜めし」で有名な「おぎのや本店」がある。
現在は国道18号沿いに大きなドライブインを構え、そこが中心となっているようだが、横川駅前の昔ながらの店も営業を続けている。

席についてお茶を出してくれた女性に「釜めしお願いします」と頼み、女性が厨房に下がったと思ったら、お盆に釜めしを乗せて運んできた。 その間30秒も要していない。
注文を受けてから炊くわけではなく、すでに炊き上がって保温されている釜めしを持って来るだけなので「超爆速」、ハンバーガー屋も牛丼屋も敵わない究極のファストフードであった。

お店の前は信越本線の終着・横川駅。 駅舎前には歯車のついたアプト式車輪が飾られている。

碓氷の関所
釜めしでお腹を満たし、いよいよ坂本宿目指して最後の行程に入る。
おぎのやを出ると、右手の高台に「御嶽山座王大権現の碑」という大きな石碑が立つ。 下の写真は「御嶽山座王大権現の碑」手前にある石仏群である。

横川の茶屋本陣が往時の姿を残している。 横川村名主を勤め、幕末には坂本駅の助郷惣代を兼ねた武井家だそうだ。

横川の集落を碓氷の関所目指して進む。

碓氷関所跡
碓氷関所は関東への出入口の一つとして重要視され、江戸への武器流入や、大名の妻子が国許に逃げ帰るのを防ぐ“入り鉄砲に出女”を厳しく取り締まった。 関所破りは磔・獄門刑に処されたというが、どのくらいの人が捕まったのだろうか?
番所跡には、当時の部材を使って東門が復元されている。 当時の関所は東西の関門があり、明け六ツから暮れ六ツ(6時~18時)まで開けられていた。

一直線の街道と坂本宿
中山道屈指の難所・碓氷峠を控えて賑わった坂本宿。 本陣2軒、脇本陣2軒、旅篭は最盛期に40軒あり、比較的大きな宿場だったという。
近世になって中山道の宿駅として集落の無い所に新たに拓かれたので、整然と町割りがなされ、地図を見ると宿場内の道は一直線である。
関所跡を過ぎると薬師坂となる。 碓氷峠の無事通過の願いと感謝を込め、川久保薬師堂が建てられている。

盛大に実った柿。 甘いのか渋柿か?

坂本宿下木戸跡
坂本宿下木戸(江戸方出入口)に到着。 一直線の街道の先に刎石山(はねいしやま)が見える。

街道は再整備されたようで道幅は広く、用水路も残されている。 電柱が残ったのは残念・・・

屋根中央に卯建が上がる2軒棟続きの家。 左右の家をよく見ると、屋根の高さが違っている。

佐藤本陣跡
「佐藤本陣(上の本陣)」と「金井本陣(下の本陣)」の2つがあった。 残念ながら金井本陣は跡地だけが残る。

旅籠かぎや
宿場の面影を色濃く残す「旅籠かぎや」。 約370年前の高崎藩納戸役鍵番が坂本に移住し、「かぎや」の名で旅籠を営んだそうだ。
中山道宿場町の町家建築は平入が多い中で、この旅籠かぎやは妻入で珍しいそうだ。

「かぎや」と彫り込まれ、凝った造りの屋根看板が下がる。

街道沿いの家には、昔の屋号を掲げる家が多い。 旅籠だったのだろう。

この先碓氷峠への登山口まで、偵察を兼ねて歩いてみた。 この部分は次回「碓氷峠」編で紹介することにする。
この碓氷峠登山口からは、ノスタルジックな廃線跡ウォークを楽しむことができる、旧信越線廃線跡「アプトの道」を経て横川に戻り帰途に就いた。
次回はいよいよ碓氷峠越えである。
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