追分宿の「分去れ」で、長野から越後へ通じる北国街道を右に見送り、中山道へと歩を進める。
新幹線の佐久平駅から八ヶ岳高原線(小海線)に乗り換え、小海駅や松原湖から稲子湯、本沢鉱泉など、八ヶ岳への道は何度も通った。
しかし 佐久平を横切り、和田峠までの間は足を踏み入れたことがない初めての地域である。
したがって 和田峠への街道沿いの地名は初めて聞く名ばかりであり、どのような景色が待ち受けているのか、これから先が楽しみである。
旅行日:2015年11月27日
- 日 付 : 2015年11月27日
- 街道地図 : 沓掛宿 ~ 岩村田宿
- 宿間距離 : 沓掛宿 ~ 追分宿 1里3町 (4.3Km)
: 追分宿 ~ 小田井宿 1里10町(5.0Km)
: 小田井宿 ~ 岩村田宿 1里7町 (4.7Km) - 日本橋から: 累 計 41里21町(163.3Km)
- 万歩計 : 29,587歩
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
追分宿 北国街道との「分去れ」
追分宿を出ると、すぐ先が中山道と北国街道の分去れ(わかされ)である。
2014年の5月に追分宿から新潟の直江津まで、北国街道(別名 善光寺街道)を自転車で走ったが、この北国街道も味わい深い街道であった。
追分宿の京方枡形跡から追分宿方向を振り返る。 右の高い建物は、昔の火の見櫓を模したモニュメントだろう。

この枡形跡で国道18号に合流するが、すぐに北国街道との分岐「分去れ」である。
常夜灯を挟んで右の道が北国街道で、左の18号が中山道である。

北国街道は小諸、上田、長野を経て上越市まで続く脇往還である。
数年前に追分宿から新潟の直江津まで、この北国街道を自転車で走った。 追分から上田に向けては緩い下りが続くので、自転車旅には楽なコースである。
しかし旧街道を旅するには、自転車は向いていないことが判った。 要するに路傍の石仏や一里塚跡の標柱など、走っていると見落とすことが多く、また写真を撮るため、いちいち自転車を停めないといけないので、結構面倒であった。
この北国街道を自転車で旅したことをきっかけに、街道旅は歩いたほうが良いということになった。
「分去れ」から国道18号を100mほど進むと、左に分岐する旧中山道に入る。
この旧道に入ってすぐ右に「中山道69次資料館」がある。 「中山道69次を歩く」という本を執筆した岸本豊氏が館長で、庭にはミニ中山道六十九次が作られている。


御代田に残る一里塚
国道18号から旧道に入ると、静かなたたずまいの別荘地の中を御代田町に向けて進む。
千ヶ滝湯川用水温水路
用水路とは思えない、プールのような幅の広いものが現れた。
浅間山の雪解け水や湧水は、冷たすぎて農業用水には適さないため温める施設だそうだ。 水深は20㎝と浅く、この温水路で水温は1.5度高くなるそうだ。


大山神社
浅間山を右に見て緩やかに下っていくと、右手に大山神社がある。 鳥居を潜ると馬頭観音や道祖神の石仏が並ぶ。 どれも注連縄が巻かれている。

御代田の一里塚
大山神社の先で「御代田の一里塚入口」の標柱が立つ細い路地に入る。
現在の中山道から少し奥に入っているせいか、保存状態も良く西塚と東塚の両塚が残る。 特に西塚には見事な枝垂桜が生い茂り、春には見事な桜を見せてくれるのだろう。


ちなみに国道18号の反対側には、北国街道に沿う「間瀬口の一里塚」2基が保存されている。
スイッチバック駅だった御代田駅
街道はしなの鉄道に遮られる。 このしなの鉄道の線路脇に「御代田町交通記念館」があり、よく手入れされたD51が静態保存されている。
ここは旧国鉄の信越線時代の旧御代田駅で、スイッチバックの跡地だそうだ。

しなの鉄道は、歩行者用の地下道を通って線路を越える。

荒町の静かな集落を抜けると、小田井宿はもう近い。

「姫の宿」と呼ばれた小田井宿
江戸から21番目の宿場である小田井宿。
大名などの多くは隣の追分宿を利用したので、小田井宿は本陣・脇本陣各1軒、旅籠5軒と小さな宿場であった。 しかし姫君や側女たち、さらに宮家や公家の姫君の多くが小田井宿に休泊したので「姫の宿」と呼ばれている。
皇女和宮も降嫁の際、この小田井宿で昼食休みで滞在している。
小田井宿入口
県道137号との交差点に、小田井宿入口の標柱や筆塚、道祖神などが立つ。

諏訪長倉神社と宝珠院
小田井宿江戸口跡から右に少し外れ、諏訪長倉神社へ寄道する。
境内の神馬舎には藁で造られた大きな馬があり、毎年2月8日には子供達が藁馬を引き歩く「小田井の道祖神祭り」が開かれる。

街道にも戻り、今度は少し左に入って宝珠院を訪れる。
見事な枝ぶりの大きな赤松や、樹齢300年という枝垂桜があり、藁葺屋根の鐘楼も趣がある。

小田井宿 安川本陣跡
案内板によると宝暦6年(1756)頃の建物で、本陣客室部を良好に残しているというが、残念ながら個人宅なので公開はされていない。

問屋場跡
本陣を勤めた安川家が兼ねた上の問屋場跡。 人馬の継立業務や飛脚業務を行っていた。
出桁造りに連子格子が街道の風情を残している。

小田井宿は切妻・平入りの建物や用水路など、宿場らしい雰囲気を保ちながら静かな時間が流れているようだ。



小田井宿京方出口
小田井宿の京方出口から、一本奥の道に入ってみた。 そこには多くの石仏・石塔が並んでいた。

日本橋から21番目の宿場で、観光地化されていない古い家並みと、街道風情を残す宿場が現れた。
追分宿もそうだったが、木曽の妻籠や馬篭などのような観光地は、ちょっと整備されすぎている。
観光地化せずに宿場風景を残す場所が、この先たくさん出てくることを期待して、次の岩村田宿に向かう。
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