昨年11月末に岩村田宿まで歩いたが、寒さも厳しくなったので一時中断した。 年が明け、春の早い時期から再開を予定したが、ぐずぐずと5月の中旬になってしまった。
長野新幹線の佐久平で小海線に乗り換え、久し振りに岩村田の駅に降り立ち、抜けるような青空の下、佐久平を西に向かう。
右に浅間山、左に八ヶ岳、時には遠く白く輝く北アルプスを望みながら、山岳遠望の中山道歩きであった。
旅行日:2016年5月16日
- 日 付 : 2016年5月16日
- 街道地図 : 岩村田宿 ~ 芦田宿
- 宿間距離 : 岩村田宿 ~ 塩名田宿 1里 7町 (5.1Km)
: 塩名田宿 ~ 八幡宿 0里27町 (2.9Km)
: 八幡宿 ~ 望月宿 0里32町 (3.5Km)
: 望月宿 ~ 芦田宿 1里 8町 (4.8Km) - 日本橋から: 累 計 45里27町(179.6Km)
- 万歩計 : 29,515歩
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
上越新幹線からの山岳展望
東京から上越新幹線で高崎方面に向かう場合、進行方向左側の窓際席を確保する。
荒川を渡り埼玉県に入ると、富士山を背景に丹沢から奥多摩の山々が連なり、熊谷あたりまで進むと秩父の山々や榛名山、浅間山も見えてくる。
【熊谷付近からの両神山】
小鹿野町と秩父市の境に聳える標高1723mの両神山。 日本百名山の一つで、ぎざぎざの稜線と左右の山稜が大きく切れ落ちているのですぐ判る。

【荒船山と妙義山】
右の妙義山の山容と比べ、左の荒船山は平坦な頂上と切り立った崖を持ち、遠くから見ると航空母艦のように見える。 見ればすぐに判るので、思わず「荒船山だ!」と口走ってしまう。
荒船山の右奥に見えているのは浅間山だろうか?

甲武信岳や雲取山も見えるようだが、探しているうちに過ぎ去ってしまう。 そして冬であれば、白く雪で輝く八ヶ岳を見ることもできる。
岩村田宿を出発
昨年末に訪れた商店街や西念寺を再訪し、その後 相生町交差点を右に曲がり、塩名田宿目指して歩き始める。
相生町交差点の標柱にある「この先佐久甲州街道」の案内に沿って右に曲がる。

相生町交差点を曲がると、すぐに小さな西宮神社がある。 御神燈の前には、注連縄のかかる道祖神などが祀られている。

子ども未来館
小海線踏切手前で右を見ると、銀色に輝く大きな丸屋根が見える。 佐久市の「子ども未来館」で、プラネタリウムなどがあるそうだ。

御嶽神社と石塔群
小さな御嶽神社前の街道沿いに、石塔が7体並んでいる。

相生の松
赤松と黒松が一つの根から生えた松で、縁結びの象徴とされているそうだ。 皇女和宮がここで野点をして小休止している。 現在の松は3代目である。

佐久平を進む
岩村田の街を抜けると左右に水田が広がり、大変眺めが良くなる。 水田に水が入り、ケロケロと鳴くカエルの声を聞きながら、浅間山や八ヶ岳を眺めながら歩く。
浅間山
水田に浅間山が姿を映す。 麓の街は佐久平の街である。

八ヶ岳
浅間山の反対側に目を転じると、遠くに八ヶ岳の山並みを一望できる。 一番左の硫黄岳から右の蓼科山まで、八ヶ岳でも北八ツと呼ばれる山域だ。

平塚集落から根々井塚原集落
街道の左右は水田だけではなく、リンゴ畑も少しずつ増えてくる。 そして中部横断自動車道の高架をくぐると、平塚集落に入る。

昔懐かしいような煙草屋さん。 「番茶も出花」の娘が店番しているのか?

根々井の集落だろうか? 用水路が流れている。

北アルプス遠望 槍・穂高連峰が見えた
水田の向こうに、白く輝く北アルプスが見えた。 大きくえぐれた稜線は大キレットだろうから、槍ヶ岳から穂高にかけての山並みだ。

写真をトリミングして山の部分を拡大する。 まるで安曇野とか白馬山麓のような風景である。

水田が広がる街道沿いの大きな岩の上に、石塔が3本立っている。 この岩は浅間山の噴火で飛んできたか、土石流で運ばれてきたもののようだ。

駒形神社と中山道古道
下塚原の集落を抜けると駒形神社である。 この駒形神社の先に、わずか100mほどだが古道が残っている。
古道といっても草付きの踏み跡のような道なので、気を付けないと入口を見落としてしまう。
駒形神社
この近辺は信濃の国の最大の牧場だったそうだ。 社殿は1400年代に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。

中山道古道
駒形神社の先でガードレールの切れた所を、下に見える民家を目指して右の草付きの道に入る。 駒形坂と名が付いているようだが、雑草に覆われた踏み跡を進む。

左の舗装路の擁壁に沿って古道が伸びる。

空家のような民家横を過ぎると道らしくなり、やがて元の道に合流する。 下の写真は、合流点で古道を振り返って撮ったものである。

塩名田宿
日本橋から23番目の宿場。 次の八幡宿まで距離は短いが、千曲川があるため宿場が設けられた。
宿場は江戸側の下宿、本陣のあった中宿、千曲川付近の河原宿で構成されたが、普段は宿泊客は少なかったそうだ。 しかし千曲川が増水して川留めになると滞在が長引くため、小さな宿場にかかわらず本陣と脇本陣が合わせて3軒もあった。
塩名田宿入口
塩名田宿の江戸方入口。 標柱と道祖神が出迎えてくれた。

街道沿いの民家は、昔の屋号を掲げている。 「釜鳴屋 てっぱ茶屋」とある。

本陣「丸山新左衛門家」
1756年に再建されたという、問屋場も兼ねた本陣の丸山新左衛門家。 少し手前の大井屋食料品店にも、「本陣丸山善兵衛」の看板が下がっていた。

塩名田・中宿の町並み
街道に対して斜めに建つ家が並ぶ。 武者隠れのような防衛のためだろうか?

えび屋豆腐店。 歪んだ景色を映すガラス戸に、「とうふ 油あげ」の文字もかすれている。 11時頃だったが、「油揚げ売切れです」と書かれた札が下がっていた。

河原宿から千曲川へ
中宿を抜けると道は左にカーブして中津橋へと続くが、旧街道は右に分岐する細い道に入る。
坂を下ると街道風情を残す河原宿となるが、その先で千曲川に行く手を阻まれる。
千曲川に架る中津橋と、対岸の御馬寄の集落を望む。


坂を下り「お滝通り」に入ると木造3階建の「休茶屋角屋」がある。 手前には清水が湧き出る欅の大木があったが、現在は根だけが残る。

街道風情を残す塩名田の河原宿。 この先で千曲川に行く手を阻まれ、塩名田宿は終わりとなる。

千曲川の舟つなぎ石
千曲川はたびたび氾濫を繰り返し、橋を架けては流されたので、明治6年に9艘の舟をつないだ舟橋を架けた。
その際 舟を繋ぐため岩の上部に穴を開けた「舟つなぎ石」が河原に残る。 明治25年に木橋が架けられるまで、この舟橋は使われていた。

千曲川の河原を少し歩き、中津橋の下をくぐってUターンするように坂を登り、先ほど分岐してお滝通りの方に下った道の反対側に出る。
中津橋を渡って千曲川を越えるが、昔のように舟をつないだ橋を観光用に復活してくれれば、有料でも渡ってみたいと思うのだが・・・
それにしても抜けるような5月の青空の下、広がる水田の向こうに浅間山、八ヶ岳、更に遠く北アルプスの穂高連峰を望みながら、実に気持ち良く歩けた区間であった。
ただ一つ残念であったのは、双眼鏡が無かったことである・・・
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