沼津宿を出ると、駿河湾沿いを一直線に続く街道を淡々と進むことになる。
天気が良ければ右に富士を仰ぎ見ながら歩けるのだろうが、この日はあいにくの曇り空。 さらに悪いことに、途中から雨が降ってきた。
雨の中を歩くと、車からの水しぶきを浴びる。 そのため雨具を着用し、さらに傘をさしての歩きとなってしまった。
旅行日:2025年4月25日

原 朝之富士
【コースデータ】
| 日付 | 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | |
| 4月25日 | 三島 | 沼津 | 1里半(5.9Km) | 30里9町(118.8Km) |
| 沼津 | 原 | 1里半(5.9Km) | 31里27町(124.7Km) | |
| 4月26日 | 原 | 吉原 | 3里22間(11.8Km) | 34里27町22間(136.5Km) |
| 4月27日 | 吉原 | 蒲原 | 2里半12町23間(11.2Km) | 37里21町45間(147.7Km) |
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
千本松原と首塚
沼津宿京方見附手前の浅間町交差点を左に曲がり、千本松原へ寄り道する。 若山牧水夫妻の墓があるという乗雲寺前を通り、500mほど進めば千本松原の海岸に出る。
晴れていれば松原の上に富士山が見えるようだが 残念・・・

戦国時代の武田勝頼と北条氏政との戦いで、武田勝頼は敵の隠れ場をなくすために松原を伐採したと伝わるそうだ。 そのせいではないと思うが、全体的に松が細い。

千本浜の首塚
千本松原から街道に戻る途中に「千本浜の首塚」がある。
明治時代に、この地から頭蓋骨がゴロゴロ出てきた。 武田と北条の戦いで、落とされた首を埋葬したものらしく、今は首から上の病の神様として信仰されている。

沼津宿京方見附
千本浜の首塚から街道に戻り、少し沼津側に戻って京方見附跡を見に行く。 沼津宿の出口だが、この付近の町名は”出口町”となっている。

ここから次の宿場である”原宿”を目指して西に歩を進める。
直線の街道を淡々と歩く
西間門交差点に架かる歩道橋から沼津方向を振り返ると、街道は一直線に伸びている。

反対の京方を望む。 交差点を渡り、右斜めに進む道が旧街道である。

この「間門」という地名は”マカド”と読むそうで、首に「天竺摩伽陀国」と彫られた閻魔大王の頭部が網にかかり、これに胴体手足を付けて祀ったことに由来するという。
沼津藩領境榜示
間門八幡宮の境内に”沼津藩領境榜示”が立つ。 「従是東沼津領」と刻まれていたが下半分が失われ、現在は「従是東」だけが残っている。
ここで沼津藩を出るが、次の原宿は幕府の天領だったそうだ。

吉祥院天満宮入り口。 もっとカラフルだと飲み屋街の入り口と間違えそうだ。

松長一里塚跡碑
日本橋から31里目。 塀の中に埋もれるようにして立つ。

ついに雨が降り出す・・・
JR片浜駅を右に見る頃から細かな雨が降り出し、傘無しではかなり濡れる降り方となる。 やむを得ず祥雲寺の軒先を借りて雨具を着用。 傘をさして歩くこととした。
祥雲寺境内には、立派な松がある。

JR東海道線の原踏切を越える。 何かの工事で、道路はUターンするような形で大きく迂回している。

原宿に入る
「原宿」と書くと、どうしても東京の「原宿」を思い起こす。 しかし ここの地名は単なる「原」で、「原の宿場町」を短縮した「原宿」である。
原宿は日本橋から13番目の宿場。 規模は小さな宿場だが、富士山で人気があったという。 また「白隠」という名僧の出身地で、この白隠禅師ゆかりの旧跡が多くある。
原宿 東木戸跡
神明神社横の交差点に、原宿の東木戸(見附)跡の碑が立つ。

高木神社。 細長い境内には、立派な楠木が立つ。

松陰寺と”すり鉢の松”
松陰寺は700年の歴史を持ち、江戸時代に白隠禅師が住職を務めていたそうだ。
白隠は原宿で生まれ、この松陰寺で出家した。 「500年に一人」と云われるほどの高僧で、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と詠われたそうだ。

すり鉢の松
昔、岡山藩主の池田継政が白隠に備前焼のすり鉢を贈った。 その後松陰寺の松が台風で裂け、白隠が雨除けにすり鉢を載せたところ、松はすり鉢を載せたまま大きくなったという。
現在の松は2代目で、その松に乗っているすり鉢は京焼で、白隠ゆかりの備前焼の鉢は年2回公開されるそうだ。

白隠の墓所
本堂の裏手に回ると、白隠禅師の墓所がある。

原宿中心部へ
松陰寺のすぐ先には「白隠禅師誕生地の碑」が立つ。 ここには「白隠禅師産湯の井戸」があるが、見るのを忘れた。

原交差点を過ぎると、右に浅間神社が鎮座している。 鳥居の左側に高札場があった。

浅間神社の向かいには、徳川家康の側室お万の方(養珠院)が開基したといわれる昌原寺。 お万まんの方は家康との間に男児を授かったが、不遇な一生だったらしい。

本陣渡邉家跡。 明治元年、明治天皇東幸の折に小休止されたが、今はその面影もない。

源頼朝が巻狩りで当地を訪れた際、陣屋を置いたとされる徳源寺。 参道には赤い旗がたくさん立てられていた。

原駅入口交差点を越えると、地酒”白隠正宗”の醸造元である高嶋酒造がある。

高嶋酒造の斜め向かいには、原宿西木戸跡の標柱が立つ。 桝形などは微塵もない道が西へ伸びている。

この日の歩きはここで終了。 雨は小雨程度で済んだから良かったが、やはり街道歩きは晴れていたほうが良い。 明日の天気を思いながら、JR原駅に戻る。

東海道線で沼津へ戻り、沼津で一泊。 明日は原宿から吉原宿まで歩く予定。

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