南北朝から戦国時代に、田子の浦にあった見付宿跡を訪れた後、街道に戻り吉原宿を目指す。
初期の吉原宿は駿河湾沿いにあったが、高潮被害のため内陸へ内陸へと2度の移転を余儀なくされ、最後は現在の吉原本町に落ち着いた。
この内陸へ移転した吉原宿への道中に、富士山を街道の左に臨む「左富士」と呼ばれる場所があり、歌川広重の「東海道五拾三次」にある吉原は、この左富士が描かれている。
旅行日:

吉原 左富士
【コースデータ】
| 日付 | 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | |
| 4月25日 | 三島 | 沼津 | 1里半(5.9Km) | 30里9町(118.8Km) |
| 沼津 | 原 | 1里半(5.9Km) | 31里27町(124.7Km) | |
| 4月26日 | 原 | 吉原 | 3里22間(11.8Km) | 34里27町22間(136.5Km) |
| 4月27日 | 吉原 | 蒲原 | 2里半12町23間(11.2Km) | 37里21町45間(147.7Km) |
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
街道に戻る
田子の浦の見付宿跡を訪れた後、街道まで引き返す。
街道が東海道線に遮られて消滅した地点から少し戻り、左に曲がって東海道線の踏切を越え、迂回する道に入る。(江戸方面から来た場合は、この交差点を右折)

踏切を渡り線路沿を進むと旧街道が東海道線で分断された地点となり、再び旧街道を進む。
吉原駅入口交差点を過ぎ、沼川に架かる河合橋を渡り内陸部へと向かう。

名勝 左富士
新幹線の下を潜ると、街道は右にカーブしながら北に向かう。 この右に街道が湾曲した結果、進行方向左手に富士山を望むという、左富士の景観を生み出した。
沼川を渡り信号のない分岐を左に進むが、右に分岐していく道の先に富士山が大きくすそ野を広げている。 この地点では、街道の進行方向右手に見えている。

左富士神社
富士由比バイパスと新幹線ガード手前で右に分岐する街道に入ると、吉原宿が最初に移転した中吉原へと入るが、街道は徐々に右へ右へと緩やかにカーブし、やがて左富士神社が現れる。

左富士神社の境内には依田橋村一里塚跡の碑が立ち、写真左側の土饅頭のような一里塚モニュメントがある。

左富士神社向かいの家に掛かる”まちの駅”の看板。 元酒屋さんのようだが、左富士を眺めながら立ち飲み(角打ち)でもやっていたのだろうか?

この元酒屋さんの前から左富士を眺めてみる。 昔は松並木越しに見えたのだろうが、今は風情も何もない。

少し先に進むと、わずかに残る松と左富士を望むことができるスポットがあり、歌川広重の「左富士」を描いた石碑が立つ。


ここから街道は左に向きを変え、左富士が見られる区間は終了となる。
平家越 水鳥の羽音に驚き逃げ帰った平維盛
左富士から左へと向きを変えた街道は、和田川に架かる平家越え橋を渡って吉原宿へと入っていくが、この橋の袂には「平家越の碑」が立っている。
治承4年(1180)、富士川を挟んで平家と源氏が対峙した”富士川の戦い”の合戦場で、水鳥が一斉に飛び立つ羽音を夜襲と勘違いし、平家の軍勢が刃を交えることなく西へ退却してしまった。
この時の平家の大将軍は平維盛(これもり)。 平清盛の孫で重盛の長男である。

「えっ! こんな所で?」と思うような町中で、川幅もさほど広くはない。 しかし 昔は自然豊かで、河川敷も広く葦などが生い茂っていたのだろう。 それとも富士川がこの付近を流れていたのか?
橋を渡って進むと、吉原宿東木戸跡の標柱が立っていた。 元吉原から2度目の移転先である。

岳南電車で富士の眺めを楽しむ
街道は岳南電車の吉原本町駅の横を通る。 この日は富士市に宿を確保してあるので、かなり時間に余裕があり、ローカル鉄道の旅を楽しむことにした。
街道を横切る岳南電車。 昔の丸ノ内線のような車体だ。

吉原本町駅。 車窓から富士山を眺めながら、終点の岳南江尾という駅に向かう。

吉原本町駅から7駅、約15分で終点の岳南江尾駅に到着。 そのまま折返し電車で吉原本町に戻る。


岳南電車は工場の夜景が有名で、岳南原田駅付近は工場の真っただ中を走っているような感じだったが、残念ながらまだ明るい時間帯であった。
吉原宿
日本橋から14番目の宿場。 宿場成立時は駿河湾に面していたが、高潮被害により2度の移転を繰り返した。
宿場成立当初の地を「元吉原」、1回目に移転したところを「中吉原」、そして2度目の移転先であるこの地を「新吉原」と呼び、明治初期まで続いた。
吉原本町駅を過ぎると、中心街にアーケードが伸びている。 しかしここも人口減少なのか、人通りが少なく、ちょっと寂しい感じがする。

脇本陣であった野口家跡。 現在はカメラ屋を営んでいるようだ。

吉原宿には本陣が2軒あり、この薬局付近が下本陣の長谷川家跡。

さらに上本陣の神尾家は、この辺りにあったようだ。

本陣や脇本陣跡を示す標柱などはないので、事前に下調べをしておかないと判らないだろう。
吉原宿 西木戸に向けて
吉原本町通りの無名の信号で街道は左に曲がり、150mほど先でさらに右に曲がる。 宿場内に桝形があったのだろうか?

妙祥寺参道入り口で右折し、吉原宿の西木戸跡に向かう。

吉原宿 西木戸跡
吉原宿の京方出入口の西木戸跡。 すぐ先で志軒橋を渡ると国道139号に合流するが、青葉通りを越える部分の街道は消失している。

錦町交差点の手前には、かつて青島町付近を流れていた小川に架かっていた「石橋」の部材を利用して、消失した旧街道を忍ぶモニュメントがある。
青葉通りに分断されているが、前方に伸びる道が旧街道である。

錦町の交差点を渡り、上の写真の街道入口横には、再び吉原宿西木戸跡の標柱が立つ。 なぜ2か所に立つのかは不明である。

この日はここで終了。 青葉通り沿いの富士市役所先にあるホテルに宿泊である。

午前中は曇っていたが、昼前に雲の切れ間から富士山が顔を出し、急速に天気は回復して青空がっ広がった。 おかげで富士山をたっぷりと拝みながらの街道旅となったが、改めて富士山は大きいと思い知らされた。
新幹線の車窓から富士山はよく見るが、それより大きく、そして高く感じた。
自宅近くの海辺からは東京湾越しに富士山が見え、日が沈むとシルエットとなって浮かび上がり、綺麗ではあるが遠くて小さい。
明日は富士川を越えて蒲原宿を目指すが、明日も好天でありますように・・・

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