東海道 第15宿 蒲原宿(1) 吉原宿から富士川の渡しまで

吉原宿のある富士市内に宿泊し、次の蒲原宿を目指す。

まだ小学生の頃に収集していた切手の中に、国際文通週間の「蒲原」がある。 当時は蒲原が東海道の宿場だったとは夢にも思わなかったが、今でも「蒲原」と聞くと切手を思い浮かべる。 この切手は、現在も切手ストックブックに大切に保管されている。

旅行日:2025年4月27日

蒲原 夜之雪

【コースデータ】

日付区 間宿間距離日本橋から
4月25日三島沼津1里半(5.9Km)30里9町(118.8Km)
沼津1里半(5.9Km)31里27町(124.7Km)
4月26日吉原3里22間(11.8Km)34里27町22間(136.5Km)
4月27日吉原蒲原2里半12町23間(11.2Km)37里21町45間(147.7Km)
目次

吉原宿を出発

前日は富士市役所近くのホテルに宿泊した。 ホテルは吉原宿の西木戸跡の近くだったので、チェックアウトは9時頃とのんびりした朝が過ごせた。

青葉通りで分断された東海道。 青葉通りの向こうに伸びる旧街道がこの日の出発点である。

旧東海道跡

青嶋八幡宮神社 別名”磔八幡”

砂利道に入ると青嶋八幡神社、別名”磔八幡”がある。

五代将軍綱吉の時代、名主”川口市郎兵衛”は過酷に行われた検地を断固拒否。 そのため捕らえられ磔刑に処せられた。

青嶋八幡宮神社

青嶋八幡宮神社のすぐ先にある道祖神。

道祖神

県道396号から右の小道に分岐する旧東海道。 分岐点には小さな案内板が立つ。

旧東海道

富安橋とわらじのお地蔵様

潤井川に架かる富安橋。 江戸時代には江戸と京を月に3度往復する飛脚が使った橋なので、「三度橋」と呼ばれていた。 橋の西詰めには「わらじのお地蔵様」が祀られている。

富安橋

蓼原の単体道祖神

塀に囲まれた大きな道祖神が立つ。 通称を”袂の塞神(さえのかみ)”と呼ばれ、頭巾を被る姿はユニークだ。 花が供えられ、住民に大事にされているようだ。

袂の塞神

富士山に鶴は舞っていなかった

間宿の本市場には鶴の茶屋があった。 この辺りから富士山を眺めると、山腹の雪が鶴が舞っているように見えたという。

富士総合庁舎の植え込みに、”旧東海道間宿本市場”の案内版が立つ。

間宿本市場案内板

鶴芝の碑

文政3年(1820)建立の「鶴芝の碑」が残る。 冬の富士山山腹に鶴が舞う姿が見えたそうだが、なかなか優雅である。 しかし富士に舞う鶴どころか、富士山も雲の中であった。

鶴芝の碑

4車線道路を無理やり突っ切る

街道は4車線道路と中央分離帯に行く手を阻まれる。 案内板には迂回して信号を渡るよう書かれている。 しかしよく見ると中央分離帯には標柱が立ち、通れるような隙間もある。

左右を見ると、うまい具合に車が途切れている。 「チャンス!」を小走りで道路を横切る。

旧東海道

中央分離帯には「旧東海道跡地」の標柱が立っていた。 道を横切ると、青い車のいる道へと街道は続いている。

旧東海道

本市場一里塚跡

国道396号を渡り一方通行の旧街道に入ると、左に富士緑道という名の道が右に伸びている。 JR身延線の旧線路跡である。

前方には王子マテリアル富士工場の煙突が立つ。

旧東海道

日本橋から35里の本市場一里塚跡。 住民の手による花壇がある広場に立つ。 

本市場一里塚跡

富士市立富士第一小学校校舎。 なかなかお洒落で立派である。

富士第一小学校

富士市中心街

街道がJR富士駅から伸びる商店街を横切る。 富士市の繁華街のようだが、吉原宿もアーケードを持つ大きな商店街であった。 どっちがメインの繁華街か判らないが、やはり駅近のほうが賑やかなのだろう。

JR富士駅から伸びる本町商店街。 朝の10時過ぎだったせいか、人通りが少ない。

富士本町通り商店街

平垣本町を行く旧東海道。

旧東海道

富士大橋通り交差点に、向かい合って建つ栄立寺(手前)と金正寺(奥)。

栄立寺と金正寺

札ノ辻跡

小さな用水路の流れの横に、札ノ辻跡の碑が立つ。 平垣村の高札場が置かれたことから、札ノ辻と呼ばれた。

札ノ辻跡

街道沿いの秋葉山常夜燈。 火防の神様だけあって、消火栓やホースなどが置かれている。

秋葉山常夜燈

身延線

本市場一里塚の手前に身延線の旧線跡があったが、これが現在の身延線。 富士川沿いに甲府まで伸びている。

身延線

身延線柚木駅。

柚木駅

人柱伝説の雁堤へ

江戸時代初期に富士川左岸の水田を水害から守るため、雁(かりがね)堤が築かれた。 築いた堤の全体の形が雁の姿に似ていることから、雁堤という名で呼ばれるようになったという。

しかし度重なる洪水により堤は決壊を繰り返しため、人柱を立てて神仏に祈って完成させたとの悲しい伝説が残る。

県道396号の橋下交差点先を右へ分岐する旧東海道。 分岐には秋葉山常夜燈と道標が立つ。

旧東海道

街道は用水路のある交差点を左折するが、雁堤へ行くため用水路に沿って右折する。

用水路

護所神社と雁堤

人柱伝説を今に伝える護所神社。 境内に人柱供養塔がある。

江戸時代初期、雁堤築堤がはじめられて50年を経たが、富士川の洪水で決壊流失を繰り返したことから、富士川を渡ってくる千人目の旅人を人柱に立て神仏の加護にすがることを計画。

そして千人目となったのが旅の僧で、この事情を聞いた僧は快諾して生きたまま人柱として身を捧げた。 以来雁堤は決壊することなく今日に至っているという。

護所神社

今は公園となり、花火大会などが開催されるようだ。 また富士山の眺めも良いそうだが、姿を見せてくれなかった。

雁堤

水神社と富士川へ

雁堤から街道に戻り、富士川に向かう。

箱根を越えて三島宿に宿泊した江戸時代の旅人は、次の宿泊地は一般的には吉原宿だが、健脚な旅人は蒲原宿まで足を延ばしたそうだ。 この場合、箱根の山の翌日は急流の富士川渡りと、難所の連続であった。

県道396号に再び合流し、四丁河原歩道橋から富士川方向を眺める。 向かいの山は富士川の対岸である。

旧東海道

水神社

富士川を見下ろす水神の森にある水神社。 富士川越えの渡船場の一つであった。

説明版によると、渡船場は上中下の3ヵ所があり、その時の水流により最も穏やかな場所が使われたそうだ。 そして この水神社にあった渡船場は、もっとも下流にあったとのこと。

水神社
水神社

富士川の河原に出てみる。 川幅は広く、水量も豊かである。

八ヶ岳最南端の編笠山付近を源流とした釜無川から、富士川と名を変えて駿河湾にそそぐ、日本三大急流の一つである。

富士川

富士川橋。 昭和63年竣工

富士川橋

昔の旅人は富士川を船で渡ったが、現代の旅人は歩いて渡る。 もちろん橋を利用しての話だが、多くの人は車で橋を渡っていく。

車から歩いて橋を渡る人を見た場合、きっと「酔狂な奴だ!」と思うことだろう。 そもそも中山道や東海道を、歩いて京に向かうこと自体が「変人」だと自覚している・・・

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