東海道53次 第4宿 保土ヶ谷宿 老人や女性はこの地で宿泊した

東海道の神奈川宿を京に向けて出発すると、その先は三浦半島の付け根を横切る道筋を辿る。 そして第6宿の藤沢宿で相模湾近くに出るまで、アップダウンを繰り返すコースとなる。

保土ヶ谷宿は、この三浦半島を横切る街道の最初に現れる宿場だが、ここまではまだ坂も少なく、また宿間距離も4.9Kmと短い。

旅行日:2025年1月31日

【 保土ヶ谷宿 新町橋 】

コースデータ
  • 日 付  : 2025年1月31日
  • 宿間距離 : 神奈川宿~保土ヶ谷宿  1里9町(4.9Km)
         : 保土ヶ谷宿~戸塚宿   2里9町(8.8Km)
  • 日本橋から: 累 計 10里半(41.2Km)
  • 万歩計  : 21,359歩

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

浅間神社 富士山に通じる穴があった

横浜駅から急な階段を息を切らしながら上り、東海道の神奈川関門跡碑のすぐ先からが、今回の歩き旅の始まりである。

急階段

しばらく進むと源頼朝が勧請したと伝えられる浅間神社が現れる。

境内には富士の裾野に通じるという「横穴式古墳」があり、江戸時代は名所だったそうだが、開発により取り壊されたようである。

浅間神社

街道から一段登った高台にあり、ランドマークタワーなどを望むことができる。

横浜

ハマのアメ横 松原商店街を抜けて

街道は「ハマのアメ横」とも呼ばれる松原商店街を抜けていく。

横浜橋通りや六角橋の商店街と並ぶ、横浜三大商店街に数えられ、年末には買い物のバスツアーまで来るという、賑やかな商店街である。

芝生の追分道標

東海道と八王子道の分岐で、町田・八王子へと続いている。

横浜開港(安政6年)以後は、この道を通って横浜へ絹が運ばれたことから「絹の道」と呼ばれた。

芝生の追分

ハマのアメ横 松原商店街

松原商店街入口。 入口アーチの名前を見ると、正式には洪福寺松原商店街というようだ。

松原商店街

時間は午前9時10分。 ちょっと早すぎたようで、お店はまだ準備中であった。

松原商店街

保土ヶ谷宿に入る

松原商店街を抜け、国道16号を越えると保土ヶ谷宿入口である。

江戸を発った旅人の多くは戸塚宿まで歩いたが、女性や老人はその手前、この保土ヶ谷宿に宿泊したそうだ。

保土ヶ谷宿江戸方見附跡

駐車場の横に江戸方見附跡の説明版が立つ。 保土ヶ谷宿は、ここから約2Kmの町並みが続く。

保土ヶ谷宿江戸方見附跡

橘樹神社

橘樹(たちばな)神社に茅の輪くぐりが置かれていた。 この神社では年末の「年越しの祓」も行われるようだ。

橘樹神社

境内には寛文9年(1669)造立「合掌青面金剛」が祀られている。

合掌青面金剛

相鉄天王町駅と帷子橋跡

街道に立ち塞がるような相鉄線の天王町駅。

相鉄線天王町駅

天王町駅を抜けると、帷子(かたびら)橋跡に橋の形を復元してある。

昔はこの位置に帷子川が流れていたが、昭和31年(1956)の河川改修工事により流路が変わり、帷子橋の位置も相鉄線の反対側に移った。

帷子橋跡

高札場跡と金沢横町道標

JR保土ヶ谷駅への分岐を過ぎると、問屋場跡や高札場跡などの説明版が現れる。

保土ヶ谷宿高札場跡

やがて交差点角に4本の道標が立ち並んでいる。 金沢横丁道標である。

この地から伸びる金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光地への枝道があるため、道標として四基が建立されたそうだ。

金沢横町道標

右から「円海山之道」、「かなざわ かまくら 道」、「杉田道、程ヶ谷の枝道曲れ梅の花 其爪」、「富岡山芋大明神社の道」と彫られている。

本陣跡から保土ヶ谷一里塚へ

JR東海道線・横須賀線の線路を越えると、保土ヶ谷宿の中心部だったようで、本陣や脇本陣跡などが現れる。 しかし国道1号沿いなので、街道の雰囲気は全くない。

保土ヶ谷宿本陣跡

JRの踏切を越え、国道1号にぶつかった正面に本陣の門が残されている。

保土ヶ谷宿の本陣を勤めた苅部家は、小田原北条氏家臣の苅部豊前守康則の子孫だそうだ。

保土ヶ谷宿本陣跡

本陣跡の向かいや少し先には脇本陣があったようだが、残念ながら標柱が立つのみである。

旅籠屋(本金子屋)跡

当時の旅籠・本金子屋は客室数13とあり、現在の建物は明治2年(1869)に建てられた。 内部は公開されていないが、よく手入れされた貴重な歴史遺産である。

旅籠屋 本金子屋跡

保土ヶ谷一里塚と上方見附跡

日本橋から8里の保土ヶ谷一里塚が、こじんまりとした姿で再現されている。 実際はここより300mほど江戸寄りにあったが、明治初期の宿場制廃止に伴い姿を消したようだ。

保土ヶ谷一里塚

一里塚の手前にある石垣は、保土ヶ谷宿の上方見附跡を再現したもの。 保土ヶ谷宿の範囲としては、この見附跡までである。

一里塚の前を流れる川を渡ると、外川神社がある。 この境内には上方見附にあった道祖神などが移されている。

外川神社

一里塚や上方見附のある所は、川沿いに松並木も再現されている。 国道1号の排気ガスに負けず、立派な並木になることを祈りたい。

保土ヶ谷一里塚

次の宿場である戸塚宿へは、難所であった権太坂が待ち受ける。 正月の箱根駅伝でも権太坂を上るが、駅伝は新たに拓かれた国道1号を走る。

旧道の権太坂は、どんな急坂で待ち受けているのだろうか?

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