JR中央・総武線の飯田橋駅にある牛込門跡から、市ヶ谷、四谷へと外堀沿いに土塁が続く。 この土塁上は遊歩道となっており、春にはお花見で賑わう場所である。 土塁下にはJR中央線快速と各駅の総武線が走り、さらに一段下がって外堀がある。
土塁からお堀を見下ろすと、結構な高さであることが判る。 これは土塁を盛ったのではなく、千代田区側の台地の縁をうまく利用したものだそうだ。 外堀を挟んで、土塁の反対側も台地となっており、丁度窪地の部分を掘り下げて外堀を作ったようである。
江戸城外堀と周辺地形
四谷かどこかに、外堀と地形図を組み合わせた下の絵が出ていた。 これを見ると、御茶ノ水の仙台掘が、本郷台地の先端部を掘削したことが良く判る。
また千代田区と新宿区の間に入り込んだ低地を、うまく利用して外堀とした様子も見て取れる。 この千代田区側の台地の縁が、飯田橋から四谷へ続く土塁なのだろう。
甲武鉄道牛込駅跡
牛込門跡の石垣を後にして市ヶ谷に向けて歩き出すと、土手にへばりつくように2軒の店が並んでいる。
「何故こんな所に、2軒だけ店があるのか?」と不思議に思うが、これは明治27年(1894)に開業した、甲武鉄道の牛込駅出入口跡に建てられたそうだ。
牛込駅の入口は、外堀の土手からと、神楽坂側から通路で外堀を渡る2ヵ所あったそうだが、ここは土手側のホーム出入口である。
店舗横の石垣は当時のもので、牛込駅唯一の遺構である。
土塁の上を進む
土塁の上は遊歩道となっており、下の外堀を眺めながら、のんびりと散策を楽しむことができる。 この土手道は江戸城外堀史跡(国指定)となっており、一般的には外濠公園と呼ばれている。
春には桜が咲き、夏は涼しい木陰を提供してくれる。 特にお花見シーズンでは、近隣のサラリーマンやOL達で昼夜賑わう。
遊歩道の横に、壊れた石灯籠が残る。 特に説明もないが、何か言い伝えでもありそうだ。
土塁の下にJR中央線と総武線が走る。 お堀の向こう側には外堀通りが走り、その先は牛込台地へと上って行く。
電車の線路は、外堀の一部を埋め立てて敷設したのだろうか?
新見附橋 明治中頃に外堀を分断した
外堀を分断する形で土手の上を道路が走っている。 この橋は江戸時代にはなく、明治の中頃にお堀を埋め立てて造られた。
それにより外堀は2つに分断され、飯田橋側を牛込濠、市ヶ谷側を新見附濠と呼ぶようになったそうだ。
市ヶ谷門橋台の石垣石
土塁は市ヶ谷の駅手前で途切れ、靖国通りの交差点を渡ると市ヶ谷駅である。 市ヶ谷門は、この靖国通りが直角に曲がる交差点の上にあったようである。
市ヶ谷駅前の交番裏にある小さな公園に、市ヶ谷門の枡形位置を示す案内と、発掘された石垣石が置かれている。 これを見ると、市ヶ谷門は市ヶ谷駅前の靖国通り上であることが判る。
現在の市ヶ谷駅前。 市ヶ谷門はこの辺りにあったと思われるが、昔の面影はかけらも残っていない。
しかし 駅前交番裏手の小さな公園で、往時の面影のかけらを見ることができる。 発掘された石垣石である。
市ヶ谷の釣り堀
市ヶ谷のお堀には、昔から釣堀がある。 確か1時間1000円だったような気がするが、私は行ったことは無い。
平日の昼間には、釣り糸を垂れるサラリーマンの姿も見かける。 もちろんサボリだろう。
都心のど真ん中で、天気の良い日にボケーッと、至福の時間を過ごすことがでそうだ。
釣り堀から反対の新宿方向を望む。 ここで見えるお堀は市ヶ谷濠と呼ばれているようで、四谷の手前で埋め立てられ、姿を消すことになる。
御茶ノ水から線路沿いに続いた外堀は、次の四ツ谷で線路から離れ、都心方向へと方向を変えることになる。
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