中山道 第26宿 芦田宿 ヘビが這った足跡が残る「蛇石様」

間の宿・茂田井を出ると芦田宿は近い。 江戸から26番目の宿場で笠取峠を目前に控えるが、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒という小さな宿場で、生糸の産地でもあったとのこと。

中山道も小田井や岩村田を過ぎたあたりから、少しずつ宿場風景を増してきた。 小さな宿場の芦田宿は、どのような佇まいで迎えてくれるのだろうか?

旅行日:2016年5月16日

コースデータ
  • 日 付  : 2016年5月16日
  • 街道地図 : 岩村田宿 ~ 芦田宿
  • 宿間距離 : 岩村田宿 ~ 塩名田宿 1里 7町 (5.1Km)
         : 塩名田宿 ~ 八幡宿  0里27町 (2.9Km)
         : 八幡宿  ~ 望月宿  0里32町 (3.5Km)
         : 望月宿  ~ 芦田宿  1里 8町 (4.8Km) 
  • 日本橋から: 累 計  45里27町(179.6Km)
  • 万歩計  : 29,515歩

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

芦田宿入口

間の宿・茂田井の出口から県道148号を700mほど進んだ中居交差点に、「これより芦田宿」の標識と、大きな常夜灯が立つ。

芦田宿の東の入口らしいが、立科町役場入口を過ぎないと宿場の雰囲気は感じられない。

芦田宿

写真では良く見えないが、細い綺麗な字で「道祖神」と刻まれている。

道祖神

灯籠と綺麗な花が・・・ でも造花だった。

芦田宿

ヘビの足跡が残る「蛇石様」

石の表面に蛇の足跡が残るという「蛇石様」。

説明版によると「蛇石様」は夜泣きの神様であり、米のおひねりを捧げてお詣りすると、乳吞児の夜泣きが治まるそうだ。

蛇石様

石をよく見ると、右上から斜めに筋が付いている。 これが蛇の足跡か?

石に這った跡を残すような蛇には、絶対に出会いたくない。

蛇石様

立科町役場から帰途に就く

街道から左に入ると立科町役場がある。

立科町役場

帰りのバスの時間が迫っていたため、この日はここで終了。 役場前からバスで佐久平に向かって帰途に就く。

バスは茂田井や百沢集落のすぐ近くを通るが、車窓からは街道風景は見えない。

やはり車では、旧街道の趣を感じることは難しいであろう。

————————– 以下2017年5月19日訪問時の記録を追記 ————————–

ここまでは2016年5月の記録であり、その後暑い夏を避け、その年に再訪することはなかった。

その代わり、冬の間に日光街道を日本橋から宇都宮まで歩いたが、5月に入ると宇都宮は暑い。 そこで新緑の綺麗な中山道を再開することにした。

以下は昨年の5月以来、1年ぶりの中山道再訪時の記録である。

芦田宿を再開

新幹線の佐久平駅から、通学の高校生で混雑するバスに乗って立科町役場前に移動する。

芦田宿では行燈風の街灯が出迎えてくれた。

芦田宿

芦田宿の町並み

芦田宿は立科町役場の入口辺りから、宿場町らしい建物などが残されている。

芦田宿本陣 土屋家

立派な門を持つ家は、本陣を勤めた土屋家。 門の左には高札場があった。

土屋家は芦田宿の開祖といわれ、さらに武田信玄二十四将の「土屋右衛門尉昌続」の末裔だそうだ。

当時の姿を今に伝える建物が残されているが、内部は公開されていないようだ。

本陣土屋家

脇本陣 山浦家

芦田宿には2軒の脇本陣があり、両方とも山浦家が務めた。

1軒は土屋本陣の向かいにあったが、昭和52年(1977)に火事で焼失。 もう1軒の脇本陣跡地が、藤屋商店というお蕎麦屋さんの前に標柱が立っている。

脇本陣山浦家

酢屋茂

酢屋茂(すやも)は明治26年(1873)創業の酢屋だったが、現在は味噌・醤油の蔵元である。

朝9時前だったので、店はまだ開いていなかった。

酢屋茂

旅籠つちや(金丸土屋旅館)

文化元年(1804)創業の「旅籠つちや」。 現在も金丸土屋旅館として現役営業中である。

出梁造りに連子格子、腕木には彫刻が施されている。

旅籠つちや

軒下に架る看板の江戸方は「土屋」、京方には「津ちや」と書かれている。

旅籠つちや
旅籠つちや

建物は当時のものだそうで、奥行きがあり、煙出しを持つ大屋根など、立派な建物である。

旅籠つちや

立派な鬼瓦

立派な鬼瓦を持つ家があった。 軒下が痛んでいるが、何とか維持してもらいたいものである。

芦田宿

正明寺

入り口には大きな枝垂れ桜があり、桜が咲いた時は見事だろう。

藁葺屋根を赤いトタン?で覆ったようだ。 藁葺のままだったら、さぞかし見応えあっただろう。

正明寺

夫婦道祖神

芦田宿の京方出口付近に2基の石仏が立つ。 一つは夫婦道祖神というようだが、もう一つは風化が激しい。

双体道祖神

芦田宿出口

芦田宿入口交差点の手前に小さな公園があり、芦田宿の説明板や常夜灯が立つ。 実際の京方出口は、正明寺の前あたりに枡形があったようだ。

芦田宿京方出口

芦田宿は本陣や旅籠だった金丸土屋旅館、味噌・醤油の蔵元である酢屋茂などの古い建物が残るが、全体的には新しく建て替えられ、当時の町並みは徐々に失われつつあるようだ。 なんとか維持して後世に残してもらいたいものである。

芦田宿を出ると、すぐに笠取峠の登りに入る。

峠といっても大半は国道歩きである。 しかし次の長久保宿の手前から、面白そうな旧道に入るようなので、頑張って次を目指そう。


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