牛込門 駅を出ると巨大な石組みが現れる

牛込門跡

小石川門跡を出て、JR中央・総武線の飯田橋駅にある牛込見附に向かう。

途中 小石川後楽園に寄り道する。 小石川後楽園は徳川御三家の一つで、あの黄門様で有名な水戸徳川家の上屋敷跡である。

浅草橋門から筋違橋門、小石川門と神田川沿いに歩いてきたが、ここまで遺構らしきものはなかった。 しかし牛込門跡に来ると、立派な石垣が現れる。 以前からこの石垣は良く目にしたが、改めて眺めるとその大きさに驚かされる。

目次

小石川門跡から外堀土塁に沿って歩く

小石川門跡から中央・総武線に沿った道を飯田橋に向けて歩く。 左に外堀土塁の石垣が続き、その上を電車が走っている。

外堀土塁

西洋式と日本式の混合石垣

中央・総武線の土塁沿いに飯田橋駅近くまで来ると、土塁の石積みが乱れている。

石を平らに積み上げる「布積み(ぬのずみ)」と呼ばれる西洋式工法で築いていたが、途中から日本式の「谷積み」のほうが簡単で頑丈なので工法を変えたそうだ。

外堀土塁

小石川後楽園へ寄り道

外堀通りを渡り、飯田橋ハローワークの横を入ると小石川後楽園である。

ここは水戸徳川家の上屋敷跡で、昔は東京ドームのあたりも敷地であったようである。 庭園が有名で、都心でも秋には綺麗な紅葉を楽しむことができる。

水戸家の裏家紋

小石川後楽園の白い築地塀が続き、都心とは思えない静かな雰囲気が漂っている。

この築地塀の土台の石垣は、東京駅近くの鍛冶橋で発掘された外堀の石垣を再利用したそうだ。 訪問時にはそれを知らず、石に刻まれた外堀工事担当大名家の印などには気づかなかった。

小石川後楽園

築地塀の屋根瓦の紋を見て、葵の紋でないことに気づいた。 帰宅後に調べると、水戸家の裏家紋である「六葉葵」という紋だそうだ。 裏家紋など初めて知った。

六葉葵紋

冬に訪れたので木々の葉は落ちているが、春から秋にかけては緑豊かな庭園である。

小石川後楽園

飯田濠跡

外堀の一環をなしていた神田川は、飯田橋で二手に分かれる。 一つは北(右)に曲がり、その先大曲付近から西に向きを変えて江戸川橋から高田馬場に向かう。 もう一方は江戸城を護る外堀、つまり飯田濠となる。

現在の外堀は飯田橋から地下に潜り、飯田濠は姿を消している。 昭和の終わり頃に、飯田橋から牛込橋の間が暗渠となり、現在はその上が水辺公園となっている。

飯田濠跡

牛込揚場跡

水辺公園の中ほどに牛込揚場跡の碑が建つ。 隅田川から神田川を船で遡って運ばれる荷を、この辺りで荷揚げしていた。

牛込揚場跡

巨大な石組み 牛込門

JR中央・総武線の飯田橋駅西口改札を出ると、大きな石垣が道路を挟んで左右にドーンとそびえている。 牛込門の枡形跡である。

この牛込門は阿波藩の普請によるものだが、なんと40日という短期間で工事を終えたという。 かなり周到な準備がなされたことであろう。

牛込門

牛込橋から下を見ると、中央・総武線が走っている。 牛込門の石垣は、この線路と同じ高さからそびえている。 ビルの何階分に相当するのだろうか?

牛込門跡

線路と反対側に廻ってみる。 2階建てくらいの高さはある。 線路からの高さを考えると、4~5階建て相当の高さになると思う。

牛込門跡

東側(交番側)にある石垣は、何か工事を行っていた。 写真で見る通り、新しい石が組み込まれている。 東日本大震災の復旧工事だろうか?

牛込門跡

牛込見附の位置

千代田区が設置した説明版によると、牛込見附は神楽坂方向(右)から牛込橋を渡る道を塞ぐような形で置かれていたことが判る。

牛込門跡

今も残る牛込柳町や箪笥町などの名を聞くと、子供の頃「火事はどこだ! 牛込だ! 牛の〇〇〇〇丸焼けだ」というフレーズに、多少の抑揚をつけて歌っていたことを思い出す。 何の意味があったのか不明だが、このようなことだけは良く覚えている・・・

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