中山道 27宿 長久保宿(2) 真田幸村の娘が嫁いだ家が残る

笠取峠から中山道原道を下り、松尾神社境内に出ると長久保宿は目の前である。

長久保宿に残る本陣・石合家は、真田信繁(幸村)の長女が嫁いだ家である。 ということは、現在の石合家は真田信繁の末裔ということか!

この石合家には、真田信繁が大阪夏の陣で討ち死にする直前に書かれた書状が残されている。

旅行日:2017年5月19日

コースデータ
  • 日 付  : 2017年5月19日
  • 街道地図 : 芦田宿 ~ 和田宿
  • 宿間距離 : 芦田宿 ~ 長久保宿 1里 16町(5.7Km)
         : 長久保宿 ~ 和田宿 2里 0町 (7.9Km)
    日本橋から:  累 計  49里 7町(193.2Km)
  • 万歩計  : 21,941歩

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

長久保宿に入る

松尾神社境内を抜け、長久保宿江戸方入口から街道を振り返る。 右の道は国道からの道である。

松尾神社

竪町(たてまち)を歩く

長久保宿は江戸から27番目の宿場で、東西に笠取峠と和田峠という難所を控え、また善光寺へ通じる上田道との追分でもあったので、最盛期には旅籠が43軒と比較的大きな宿場であった。

長久保宿に入ると緩く下る直線の道が続く。 竪町(たてまち)である。

長久保宿

街道沿いには古い納屋や軒下に藁を積む家など、今時は見ることのできない風景が残る。

長久保宿
長久保宿

消防ポンプをのせた大八車を置く家。 家の造りから見ると、昔は旅籠だったようだ。

長久保宿

屋根に石を乗せた家が現れる。 このあたりは風が強いのか?

石置き屋根

長久保宿中心部

松尾神社から緩い坂を下ると、長久保宿の中心部となる。 中山道最古といわれる本陣建築の残る石合家や、問屋を勤めた小林家などが残る。

一服処「濱屋」

明治初期に旅籠として建てられたが、交通量の減少で旅籠として開業できず茶店となり、現在は無料の休憩所を兼ねる「長久保宿歴史資料館」になっている。

一福処濱屋

2階には昔の街道旅グッズや生活用品などが展示されている。

一福処濱屋

長久保宿本陣・石合家 真田信繁(幸村)の長女すへの嫁ぎ先

中山道最古の本陣建築が現存する石合家。 本陣門横には立派な高札場が復元されている。

現在も石合家が住んでいるようで、本陣は公開されていない。

長久保宿本陣石合家

この石合家には、真田信繁(幸村)の長女”すへ”が嫁いでいる。

おすえさん

一福処・濱屋の「おすへさん」イメージキャラ

真田信繁(幸村)と「すへ」

真田信繁(幸村)の長女「すへ」は、長久保宿本陣を務めた石合家の「石合十蔵道定」のもとへ嫁いだ。 そして大阪夏の陣の3カ月前に、真田信繁は石合十蔵宛てに書状を書いている。 この書状の内容も、一福処・濱屋に展示されていた。

【真田信繁(幸村)の書状】

「私ども籠城の上は必死の覚悟でおりますから、この世で面談することはもうないかと存じます。 この「すへ」いろいろと御心にかなわぬことがございましても、どうかお見捨てなきようお頼み申し上げます」。

文面から籠城の覚悟と、娘に対する父親の愛情を読み取ることができる。 信繁はこの書状の3か月後に、大阪夏の陣で討死した。

釜鳴屋と問屋・小林家

大きな本卯建を上げた釜鳴屋(竹内家)。 江戸初期から昭和初期まで酒造業を営み、建物は享保16年(1731)以前の築で、長野県内では最も古い町屋と云われる。

釜鳴屋

釜鳴屋の向かいには、問屋を勤めた小林家。 屋根の鬼瓦は真田氏の「六文銭」を描いているというが、良くわからなかった。

長久保宿問屋小林家

堅町から横町へ

街道は竪町と横町のT字路にぶつかり、左折して横町へと入っていく。

T字路右側には「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」と刻まれた道標が立つ。

長久保宿道標

T字路左側にある旧旅篭「濱田屋」旅館。 現在も営業を続けている。

浜田屋旅館

横町には宿場の面影を残す建物は殆んどないが、出桁造りに連子格子の旧旅籠「辰野屋(竹重家)」が残されている。 なかなか絵になる建物である。

旅籠辰野屋

長久保宿京方出口

横町バス停先の消防団倉庫脇の路地を右に入る。 昔の枡形跡だそうである。

Googleマップを見ると、旧旅籠「辰野屋」の向かいの路地が旧中山道と出ている。 どちらが正しいのか、良くわからない。

長久保宿

和田宿に向けて出発

長久保横町交差点で国道142号と合流。 のびやかな風景を眺めながら、信州佐久側の最後の和田宿に向けて歩を進める。

旧中山道

日本橋から高崎まで北上し、高崎で左に折れてしばらく西に向かって進んでいた。 しかし今回の長久保宿で、街道は直角に曲がり、和田峠から下諏訪に向けて南下を始める。

今まで地図を下から上、そして右から左へとルートを追ってきたが、今度は上から下へと道を追うようになった。


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