江戸から京都に向かう場合、通称「木曽路」、木曽11宿の最初の宿場がこの贄川宿である。
江戸側の宿場入口には関所があり、「女改め」だけでなく、木曾ヒノキや塗り物、曲げ物などを無許可で移送することを監視していた。
今回は贄川からスタートし、平沢や奈良井の街並み、さらに鳥居峠越えと変化に富んだコースなので、妻が中山道歩きに初めて参加。 したがって1日に歩く距離は短くした。
旅行日:2019年5月23日 ~ 5月24日
【コースデータ】
| 日付 | 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | |
| 2019年5月23日 | 贄川宿 | 奈良井宿 | 1里31町(7.3Km) | 30里9町(118.8Km) |
| 2019年5月24日 | 奈良井宿 | 藪原宿 | 1里13町(5.3Km) | 31里27町(124.7Km) |
| 合 計 | 3里 8町 (12.6Km) | |||
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
「是より南 木曽路」 信濃路から木曽路に入る
本山宿を出て日出塩を過ぎると、いよいよ木曽路に入る。
島崎藤村の「夜明け前」の冒頭の一文「木曽路はすべて山の中である」で知られるように、木曽川に沿った狭い山間を、縫うように付けられた道を進む。 中山道のハイライトといえる区間である。
国道19号に「是より南 木曽路」の標識が立つ。
この先で桜沢を橋で越えるが、この桜沢が松本藩と尾張藩の境であった。 尾張藩は尾張や美濃、三河だけでなく、木曽の山まで所領であった。 さすが尾張徳川家!

本家「是より南 木曽路」の碑
昭和15年に建てられた石碑。 この桜沢から馬篭宿の先までの88Kmが木曽路と呼ばれ、11の宿場で結ばれている。
碑の裏面には「歌に絵に其の名を知られたる、木曽路はこの桜沢より神坂に至る南二十余里なり」と刻まれている。

木曽路入口は国道の擁壁を上る
「是より南 木曽路」の碑から国道を挟んだ反対側に目を向けると、擁壁に斜めに道が付けられている。
旧中山道はこの擁壁の上を通っていたようで、木曽路入口にふさわしい道である。

擁壁を上がる。 往時は桜沢を渡り、山の斜面を上がっていったのだろう。

廃止されたトンネル
擁壁の上に出ると小さな畑となり、柵に沿って進む。 車の騒音が少し聞こえる程度の静かな山道を進むと、馬頭観音と何かの石碑が立っている。

落石防止ネットに沿って山道を下ると、千手観音を祀った祠が現れ、その横には旧中央西線の廃トンネルがポッカリと口を開けている。 トンネル内部は、残念ながら土で埋もれていた。

国道19号を進む
短かった旧道から、再び国道19号に合流すると桜沢の集落である。 木曽路に入る手前でトンネル工事が行われていたが、このトンネルが開通すれば、車の少ない静かな道になるだろう。
桜沢茶屋本陣
山道を下り国道19号に合流したところに、桜沢の茶屋本陣跡がある。 木曽路の入口に立つ「是より南 木曽路」の石碑は、この桜沢茶屋本陣を勤めた百瀬家が建立した。

国道の右下を流れる奈良井川に、小さなダムのようなものが建つ。 上流に奈良井ダムがあるので、その付帯設備だろうか?
奈良井川は松本で梓川と合流して犀川となり、最終的に信濃川となって日本海へ注いでいる。

旧片平橋
国道19号の片平橋を渡ると、奈良井川は国道の左側を流れるようになる。 そして少し先に進むと、旧国道19号に架かっていた旧片平橋が残る。 土木遺産に指定され、案内板には橋脚のアーチが美しいとあったが、河原に降りる道が見つからず見ることはできなかった。

小さな片平集落
国道から右へ分岐する道に入ると、小さな片平集落である。 僅か150mほどの短い距離だが、旧街道の面影を残している。

若神子集落
国道沿いにある若神子一里塚の先で、右に分岐する旧道から若神子集落に入る。 建て替えられた新しい家も多かったが、片平集落同様に、旧街道の雰囲気を残しているのは嬉しい。
若神子一里塚
国道右側の擁壁の上に若神子一里塚がある。 日本橋から62里で、明治43年の中央線の敷設で南塚は壊され、さらに国道19号の拡幅で、北塚も半分ほど削られた。

若神子集落の水場。 水量豊かで、一口飲んでみたが美味しかった。

諏訪神社
集落のはずれにある諏訪神社。 本殿の屋根下の壁面は、立派な彫刻が施されている。


龍の口から水が流れていたのだろう。 他にも多くの石仏が並んでいた。

JR贄川駅へ
諏訪神社を出ると、細い道や国道の擁壁上に付けられた道を進み、JR贄川駅を目指す。
街道沿いに立つ大きな石塔群。 道祖神や二十三夜塔であった。

国道19号と、中央西線の線路を見下ろして進む。

集落を抜け、細い山道のような街道を進むと、木立の下に石仏が並ぶ。

再び国道を見下ろしてフェンス沿いに進み、やがて国道19号に合流すると贄川駅は近い。


JR贄川駅
贄川駅に到着。 雰囲気のある駅舎だが、無人駅だった。

ここまでは4月に塩尻から贄川まで歩いた時の続きである。 この時は電車の都合でここで終了し、帰途に就いた。
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ここからは5月23日、前回終了した贄川駅から続きを再開。 今回は奈良井宿だけでなく、低山だが鳥居峠越えという山歩きも楽しめるので、妻を同行しての街道歩きである。
塩尻駅からの贅沢な眺め
塩尻駅から白く輝く北アルプスが見えた。 左は北穂と奥穂から西穂への稜線。 右は常念、中央の丸い山は大滝山だろうか? その間にちょこっと見ているのが蝶ヶ岳だろう。
奥穂から西穂への稜線のギザギザ感は、さすが穂高である。 贅沢な眺めであった。

贄川宿
贄川宿は日本橋から33番目の宿場で、木曽路で最初の宿場。 昔は温泉が湧いていたので「熱川」と書いたそうだ。 昭和5年(1930)の大火で宿場の大半を焼失。 残念ながら宿場の面影は、ほとんど残されていない。
駅を出発すると、「贄川宿」の大きな看板が出迎えてくれる。

贄川関所
国道からメロディ橋(欄干を叩いて渡ると木曾節となる)で中央西線の上を越えて贄川宿に入るが、橋を渡った左側に贄川関所が復元されている。
豊臣の時代に木曽五木の持ち出し監視目的で設置された。 その後木曽福島に関所ができると、「木曽路北門の番所」として、”入り鉄砲に出女”なども厳しく取り締まった。
石置き屋根が木曽路を感じさせる。 木曽は風が強く、板葺き屋根が飛ばされないように重しを置いたという。


贄川関所は、明治2年に福島関所とともに廃止。 当時の関所は現在の位置より西側にあり、東を向いて建っていたという。

贄川宿の街並み
贄川宿は国道から外れた位置にあるので、静かな街並みである。 しかし昭和5年(1930)の大火で宿場の大半が焼け、宿場の面影を失ってしまった。
千村家が勤めていた本陣跡。

贄川宿の街並み。 宿場の面影を失ったとはいえ、旧街道の雰囲気は十分にある。

秋葉神社と津島神社が並び、その脇に宿場時代から流れるという水場がある。

大火を免れて残った深澤家住宅。 江戸時代は加納屋の屋号で行商を中心に商いを行い、幕末には苗字帯刀を許された豪商の家である。

ひのきや漆器店先の路地を右に入り、すぐに道なりに左に曲がる。 贄川宿京方の桝形で、贄川宿の終わりとなる。

桝形を抜け、跨線橋で中央西線を越えると国道19号に出る。

贄川は山間に位置しているが、少し開けていて山深い感じはしない。 この先歩を進めると山間が狭まり、「木曽路」を実感するようになるだろう。 楽しみである。

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