上尾から北上尾を過ぎても、街道沿いには家が続く。 しかし浦和や大宮と異なり、ビルに代わって戸建て住宅が増えてくる。
遅々として進まない中山道の旅だが、やっと首都圏を抜け、郊外にやって来たようである。
旅行日:2014年10月7日
区間データ
日付 | 区間 | 宿間距離 | 万歩計 | 地図 | |
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2014/10/7 | 大宮宿~上尾宿 | 2里0町 | 7.9Km | 20,501歩 | Map |
上尾宿~桶川宿 | 34町 | 3.7Km | |||
合計 | 2里34町 | 11.6Km | 20,501歩 | ||
日本橋からの累計 | 10里14町 | 40.8Km | 86,130歩 |
上尾から桶川へ
上尾庚申塔
歩道脇にポツンと立つ。 1745年に建立されたという。
酒造「文楽」
洒落た酒造だが、汗にまみれた初老の男が一人で入るには気が引けた。
紅花問屋
紅花問屋だった須田家の板塀が続く。 桶川は紅花の産地として栄えた。
桶川市に入る
看板建築?
雨戸の戸袋を銅板で装飾している。 看板建築の一種であろうか?
桶川宿に入る
桶川宿木戸跡
桶川宿江戸側の木戸跡(下の木戸)を示す石碑が立つ。
武村旅館
旅篭時代の間取りをほぼ引継ぎ、現在も営業している。
近くには郷愁を誘う、昭和の香り漂うレトロな商店が残っている。
浄念寺と板石塔婆
説明版によると、最も古いものは正和4年(1315)だそうだ。 このような石の塔婆は、板橋宿と蕨宿の間の志村でも見られた。
街道沿いには、桶川宿の幟旗がはためく。
島村家住宅土蔵
天保7年(1836)築と伝えられ、天保飢饉の時にお助け蔵として建てられたという。
たまたま土蔵の持ち主の方がいて、「先代が外壁をトタンで覆ったので傷みが少ないが、維持費が大変だ」と話していた。
御茶處「島村老茶舗」
嘉永7年(1854)創業で、この建物は昭和初期に建てられた。 屋根上の看板に味がある。
旧旅篭・小林家
江戸の終わりから明治の初めに建てられた。 連子格子と屋根瓦が美しい。
蔵造りの商家・矢部家
紅花商人として活躍した矢部家の「店蔵」が残る。 明治38年に建てられ、重厚感あふれる立派な建物である。
桶川宿本陣跡
加賀前田家の宿所で、水戸藩の水戸斉昭も利用した。 また江戸に向かう皇女和宮も宿泊したそうだ。
桶川宿往来手形
中山道宿場館で「桶川宿往来手形」を得る。 また桶川は紅花でも有名なので、紅花の種もお土産にもらう。
中山道宿場館の先に、桶川宿碑や案内板が立つ。
小さなお稲荷さん
桶川稲荷神社には、ケヤキの幹にできた”うろ”にお稲荷さんが祀られている。
境内には610Kgという巨大な力石もあり、三ノ宮卯之助という男が持ち上げた記録が残るそうだ。 信じられん・・・
毎晩女郎を買ったお地蔵様
大雲寺境内に「女郎買地蔵」という、とんでもなく不名誉な名のついたお地蔵様が鎮座する。
左のお地蔵様の背中に注目!
「夜な夜な女郎を買いに行く若い僧の罪を、お地蔵様に被ってもらうため、お地蔵様を鎖で縛り、かすがいで柱に打ち付けた」というのが名の由来だそうだ。 そのためお地蔵様の背中には、今もかすがいが残されている。
お地蔵様自身が女郎を買いに行ったことを連想する名前だが、その名の由来を知ると「さすがにお地蔵様! 私の罪も被ってください・・・」とお願いしたくなる。
桶川宿には古い建物が多く残り、日本橋を出発してから初めて街道らしい雰囲気を残す宿場であった。 また観光案内にも力を入れ、中山道宿場館のサービスはなかなか良かった。
だいぶ郊外に来たので、次回は自転車を担いで来ることを考えながら、桶川駅から帰途についた。
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