武蔵(武州)東海道 第3宿 神奈川宿 浦島太郎の竜宮城からのお土産品
神奈川宿では、浦島太郎が竜宮城からお土産に持ち帰った観音像を見ることができる。中山道の木曽では浦島太郎の釣り竿を見た。次は玉手箱を見てみたい。 武蔵(武州)東海道 第2宿 川崎宿 川崎の風俗の歴史を知る
川崎宿の旅籠は、明治維新後も飯盛女が「貸座敷」として営業を続け、それが川崎のソープ街である堀之内へと、歴史が紡がれていたことを知った。 上野(上州)中山道 第14宿 板鼻宿 一攫千金を夢見て高崎ダルマを買う
中山道は高崎で左に進路を変え、板鼻宿へと向かう。途中高崎だるまで有名な少林寺達磨寺に寄道し、必勝宝くじを願ってだるまさんを購入する。 江戸城三十六見附四谷門 江戸城危機の際の将軍家逃走路
半蔵門からこの四谷見附を経て甲府へと続く甲州街道は、江戸城危急時の将軍家逃走路であった。四谷見附にその痕跡はないが、周辺に置かれた武士たちの組織を見ると面白い。 百年の街並み千葉県船橋市 日本一小さな東照宮が残る
東京駅から総武線快速で約30分。昭和の頃はストリップで名を馳せたが、現在は交通の便の良さなどから、住みたい街として人気が高いようだ。 武蔵(武州)東海道 第1宿 品川宿(2) 品川宿は昼も夜も大繁盛の歓楽街
品川宿は江戸の出入り口として栄え、送迎の人々を含め賑わった。とくに飯盛女の数は1000人とも云われ、「北の吉原、南の品川」とも呼ばれていた。 上野(上州)中山道 第13宿 高崎宿 参勤交代の大名たちは高崎宿を敬遠した
三国街道との追分のある高崎宿は、高崎城の城下町でもある。しかし街道を行く大名たちは、高崎宿での宿泊を嫌ったようで、本陣も脇本陣もない宿場であった。 上野(上州)中山道 第12宿 倉賀野宿 日光例幣使街道との追分
栃木を経由して日光へ繋がる例幣使街道が分岐する倉賀野宿。 古く情緒を感じる建物が多く残り、静かで落ち着いた雰囲気を持つ町並みであった。 武蔵(武州)東海道 第1宿 品川宿 (1) 変わりゆく都心を眺めながら
日本橋を出発し、品川宿入り口の八ツ山橋まで。高輪ゲートウェイ駅前や京浜急行の高架化など、大規模な建設工事が行われ、数年後には新たな風景に生まれ変わるようだ。 武蔵(武州)東海道53次 もう一度京都まで歩いて行こう
中山道歩き旅を終え、次は東海道を歩いて京都まで行ってみることにした。中山道、日光街道に続き、日本橋からの3度目の街道旅の出発である。