鉄壁の囲いで難攻不落の小田原城と総構をめぐる

日本橋から旧東海道を歩いて京を目指すという、少々馬鹿なことをやって楽しんでいる。

いままで小田原城は何度か訪れているが、どうせ箱根越えで小田原に宿泊するなら、ついでに「総構」と呼ばれている遺構を見にいこう・・・ と小田原にGo!

午前中に東海道を半日ほど歩き、箱根湯本にある早雲寺の北条一族墓所を訪れ、午後は小田原市内に戻り、「総構」を回るといった北条漬けの1日である。

旅行日:2025年4月3日

目次

早雲寺 北条一族の菩提寺を訪れる

小田原駅から東海道を歩き、箱根湯本の早雲寺を訪れる。

早雲寺は北条一族の菩提寺で、北条早雲から5代目の「氏直」までの墓所がある。

北条一族は小田原城を本拠に関東一円を支配した戦国大名で、4代の「氏政」の時には上杉謙信や武田信玄の小田原攻めを退けた。

しかし豊臣秀吉による小田原攻めに敗北。 4代「氏政」は切腹、5代「氏直」は高野山に追放され、翌年亡くなり、90年にわたる北条一族による関東支配は終焉を迎えた。

早雲寺惣門
早雲寺

北条早雲以下5代の墓が並ぶ。

北条五代の墓

↓↓↓↓↓↓ 早雲寺を訪れた「東海道歩き旅」編はこちら ↓↓↓↓↓↓

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東海道 箱根越え(1) 小田原から北条一族の菩提寺「早雲寺」へ 小田原から箱根を越える2泊3日の歩き旅。第1日目は2部構成で、第1部は北条一族の墓所のある早雲寺を目指し、第2部は小田原城「総構」の見学である。

秀吉を苦しめた「小田原城総構」

早雲寺の見学を終え小田原駅に戻り、「総構」の地図などを貰いに観光案内所を訪れると、「この雨で土塁の下に水が溜まり、歩けないと思います」との忠告を受ける。

「そうはいっても・・・ まぁ土塁の上から覗くだけでも」と、小田原駅前に立つ北条早雲にご挨拶して歩きはじめる。

北条早雲像

総構(そうがまえ)とは

天正18年(1590)、豊臣秀吉は約21万の軍勢を率い、関東の覇者・北条氏の小田原城に攻め寄せてきた。

「ヤベッ!」と思った北条側は、城下の町民たちを動員し、掘りに掘りまくって堀を作り、掘り出した土を積みに積んで土塁を築いた。

その結果、自然の地形と土塁や堀で城下町を囲う、全長9Kmにも及ぶ「総構」 またの名を「大外郭」という防御ラインを完成させた。

この防御ラインのお陰で、秀吉は大軍をもってしても直接責められず持久戦となった。

そこで秀吉が考えた一夜城という、嘘のような城が突然目の前に現れ、北条は戦意消失。 「降参で~す!」と白旗を揚げたのである。

以上 個人の勝手な想像を含んだ話だが、本当に北条は気付いていなかったのだろうか? 間諜 いわゆるスパイはいなかったのか?  諜報戦の失敗だったのでは・・・と思ってしまう。

百段坂 「総構」到達前の難所を越える

観光案内所で貰った地図を頼りに、総構えに向かう。

「上り坂が続きます」と云われていたが、目の前に現れた階段・・・ 坂道は途中から階段へと変わっていた。

小田原百階段

「百段坂」と名が付き、階段数は数えなかったが、電動チャリでもきつそうな坂である。

坂上にあった高校の運動部には良いトレーニングになるだろうが、後期高齢者には難所である。

小峰御鐘ノ台大堀切東堀

「総構」の代表格! 定番中の定番で「こみねおかねのだい おおほりきりひがしぼり」と読む。

北条氏が築いた堀の中で当時の様子を良く残し、深さは12m、斜面の角度は50~60度もあり、なかなか登れない急勾配である。

堀の上部は土塁となっている。

小田原城総構

土塁の切れ目から下を覗いてみる。 確かに深く急斜面である。

ここから下に降りようとすれば、確実に滑って転げ落ちるだろう。

小田原城総構

東堀の入口から中に入ってみる。

雨水が溜まっているとの話だったが、落ち葉などで土中に沁みこんだようで、問題なく歩ける。

小田原城総構

木もまっすぐに伸びることを諦めたようだ。

小田原城総構

堀の屈曲部などは、戦国ファンが見ると胸キュンポイント。 戦国時代にタイムスリップしたような、まさに「映える」「いいね!」の世界である。

小田原城総構

三の丸外郭 新堀土塁

小峰御鐘ノ台大堀切東堀を抜け、三の丸外郭の新堀土塁に到着。 しかし いつの大雨か判らないが、大雨のため閉鎖となっていた。

入り口横の駐車場からは真鶴方面の海が一望できる。

秀吉との戦の時には、この海に浮かぶ長宗我部などの水軍の舟が見えたのだろう。

小田原城総構

稲荷森から山ノ神堀切へ

次に小峰御鐘ノ台大堀切西堀から、稲荷森を目指してのどかな畑の中を進む。

小田原城総構

天気が良ければ大変気持ち良く歩ける道で、ボケ~ェと歩いていたら稲荷山を通り越し、山ノ神堀切が現れてしまった。

この堀切は、谷津丘陵を分断する役割を持つとのことだが、全体的な地形が判らないので理解不能だった。

小田原城総構

のどかな道をさらに進み、やがて人家が現れると急な下り坂となって小田原駅に戻ってきた。

桜咲く小田原城へ

早めに駅に戻ってきたし、雨も上がったので小田原城に桜でも見に行こうと城に向かう。

銅門(あかがねもん)

銅門は小田原城二の丸の表門にあたる枡形門で、明治維新で廃城後の明治5年(1872)に解体されたが、平成9年(1997)に復元された。

馬出門から入り、馬屋曲輪から住吉橋と銅門を望む。

小田原城
小田原城

大扉には「銅門」の名の通り、飾り金具などに銅が使われている。

小田原城

常盤木門

本丸正面に位置する常盤木門。 多門櫓と渡り櫓から構成される枡形構造の門で、なかなか格好良い姿をしている。

本丸に続く階段の上に常盤木門が見える。

小田原城

渡り櫓を潜ると本丸となり、天守閣を仰ぐことができる。

小田原城

小田原城天守閣

小田原城の西は箱根から丹沢の山々が、東は酒匂川といった天然の要害を有するが、南の相模湾に向けて開けているので、海から侵攻される恐れがある。

しかし天守閣に上ればわかると思うが、この天守閣からは相模湾が望め、海上交通を監視することで敵の侵攻を素早く察知することができる。

小田原城

・・・と書いてはみたものの、私は何度か訪れているが、天守閣に上ったことがない。 百名城のスタンプを押すため、天守閣1階に入ったことはあるが。 まぁコンクリートだし・・・

総構から小田原城を回り、いよいよ明日は旧東海道を歩いて箱根芦ノ湖までの山登りである。

小田原で1泊するのだが、ホテルの禁煙ルームが取れないので、平塚のホテルを確保。 明日に向け、一杯やって鋭気を養おう。


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