東海道 第18宿 江尻宿 松の廊下で襲われる1ヶ月前に吉良上野介が宿泊

興津宿を出て、次の江尻宿を目指す。 江尻宿は現在の静岡市清水区(旧清水市)で、巴川の「入江の尻(下流)」に位置することから江尻の名が付いたという。

この巴川の河口の良港が清水湊で、駿府への物資の集積地として多くの問屋が集まり、大いに繁盛した。

この江尻宿の寺尾本陣の説明版に、吉良上野介が宿泊したとあった。 調べると江戸城松の廊下の刃傷沙汰の1ヵ月ほど前に宿泊したそうで、朝廷からの勅使を案内して江戸に向かう途中だったそうだ。

旅行日:2025年12月4日 ~ 12月6日

江尻 三保遠望

江尻 三保遠望

【コースデータ】

日 付 区 間 宿間距離 日本橋から
12月4日蒲原由比1里(3.9Km)38里21町45間(151.6Km)
由比興津2里12町(9.2Km)40里33町45間(160.8Km)
興津江尻1里2町(4.1Km)41里35町45間(164.9Km)
12月5日江尻府中2里25町(10.6Km)44里24町45間(175.5Km)
12月6日* 街道歩きは休み。 久能山東照宮へ寄り道して帰宅。

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

興津宿を出発

興津宿の清見寺、坐魚荘を訪れた後、五十三次の18宿目となる江尻宿を目指して歩き始める。

静清バイパス、国道1号、東海道線が1点で交わる波多打川。 南北朝時代の薩埵峠の戦いで、足利尊氏が旗を立てたことから「旗打川」と呼ばれるようになったという。

波多打川

頭上の静清バイパスの下で左への細い道に入り、横砂踏切で東海道線を越える。

横砂踏切

やがて国道1号に合流し、その合流点に延命地蔵尊と常夜灯が立つ。 説明版によると、「病は直せるが寿命は延ばせない」とお願いを叶えてくれるそうだ。

延命地蔵尊

国道1号を進む

延命地蔵尊からは、しばらく国道1号を進む。 交通量が多くうるさいだけで、見るものもさほどないので、ついつい足が速くなる。

東光寺急造勅使門・格子門扉

東海道を江戸に下る勅使が興津川の増水で川止めとなり、急遽東光寺に逗留することになった。 しかし東光寺には山門がなかったため、村人総出で格子状の門扉を作り格式を高めた。 以降東光寺の山門門扉は、必ず格子で造られている。

東光寺格子門

 

庵原川。 江戸時代は橋は架けられず、旅人は徒歩渡しで川を渡った。

庵原川

横砂西町を行く国道1号。 名残り松がポツンと1本立つ。

名残り松

木嶋こうじ店。 江戸時代に甘酒茶屋として開業し、現在は6代目がこうじ味噌を製造販売している。

木嶋こうじ店

国道を離れ旧道へ

ほそいの松

長かった国道歩きを終え、辻町交差点で右に分かれる旧道に入る。 この分岐点に”ほそいの松”と呼ばれる、名前の通り細い松が1本立っている。

往時は「細井の松原」と呼ばれる景勝地だったが、戦時中に松根油採取のため伐採された。 現在の松は平成4年(1992)に植樹されたもの。

ほそいの松

辻村高札場跡と江尻(辻)一里塚跡

辻村高札場の説明版が立つ。 道路を挟んで反対側には、日本橋から42里の江尻一里塚(辻一里塚)があったが、今は案内板も見つからなかった。

辻村高札場跡

江尻宿の江戸方出入口である東木戸跡。 この付近のようだが、案内板も何もない。

江尻宿東木戸跡

沿道に残る立派な旧家。

江尻宿

江尻東交差点を左に曲がると、すぐにJR清水駅。 この日はここで終了し、駅近くのホテルに宿泊。 清水港で水揚げされた美味しい魚とアルコールで、明日に備えて鋭気を養おう。

JR清水駅

というわけで、駅前で一泊した翌朝、江尻宿中心部へと歩を進める。

「おっ! 面白い・・・」と目についた看板。 「小林銅鐵店」と”鉄”が旧字体である。 また 文字が二重になっているのは、決して手ブレではない。 なぜこの様な看板ができたのだろう?

小林銅鐵店

徳川家康の長男「松平信康」供養塔

小林銅鐵店横の江浄寺入口から境内に入ると、徳川家康の長男で、自刃した松平信康の供養塔がある。

江浄寺

松平信康は、母親で家康の正妻である築山殿(瀬名)と共に、武田方に内通していることを織田信長に疑われ、家康は信長から殺害を命じられた。 家康は徳川家を守るため、やむなく信康に切腹を命じ、築山殿は家康家臣により殺害された。

松平信康の墓

自分の正妻や長男を死に追いやるとは、家康もつらい決断だったことだろう。 しかし昔の人と今の我々とでは、人の命に対する思いが少し異なるような気がする。

江尻宿中心部へ

江浄寺から先に進み、無名信号の交差点を右に曲がると江尻宿の中心部となる。 しかし残念ながら宿場の面影は失われている。

右折した商店街は清水銀座と呼ばれ、3階建ての2階以上の部分がはみ出した面白い造りとなっている。 これもアーケードというのだろうか?

江尻宿下町

街道を振り返ってみる。 左の杉山洋品店が府中屋脇本陣跡、その向いが羽根本陣跡。

江尻宿下町

寺尾本陣跡 松の廊下事件の1ヶ月前に吉良上野介が宿泊

寺尾本陣跡の碑が立つ。 説明版によると、寺尾家に残る本陣の宿帳には、春日局や琉球王子、朝鮮通信使、元禄14年(1701)には吉良上野介の名があるという。

AIに聞いたところ、吉良上野介は朝廷からの勅使を案内して江戸に向かう途中、元禄14年の2月12日に寺尾本陣へ宿泊した。 そして1ヵ月後の3月14日に、江戸城松の廊下で浅野内匠頭に襲われたそうである。

江尻宿寺尾本陣跡

江尻城跡に建つ江尻小学校

街道は魚町交差点を左折するが、江尻城址へ少し寄り道する。

魚町交差点を直進すると魚町稲荷神社。 武田家家臣で、江尻城城代の穴山梅雪が造営したと伝わる。

魚町稲荷神社

境内には日本少年サッカー発祥の碑が置かれる。 昭和31年(1956)、江尻小学校に日本で初めて少年サッカーチームが結成されたそうだ。 確かに静岡はサッカー王国である。

魚町稲荷神社

駿河に侵攻した武田信玄が築いた、江尻城跡に建つという江尻小学校。 校門には「本丸門」とある。

江尻小学校

「ちびまる子ちゃん」が住む町

稚児橋

江尻城跡から戻り魚町交差点を曲がると、巴川に稚児橋が架かる。

江戸時代初期に巴川に橋が架けられ、”江尻橋”と名付けられた。 渡り初めのときに川の中から童子が現れ、橋脚を登り忽然と入江方面に消え失せた。 このことから「稚児橋」と名が変えられたという。 この童子は巴川に棲む河童だったと語り継がれ、別名で河童橋とも呼ばれている。

稚児橋

入江2丁目交差点。 左は清水湊に通じる清水道で、東海道は右に進む。

この入江2丁目は、「ちびまる子ちゃん」が住む町だそうである。 ちびまる子が通う学校は入江小学校で、原作者の”さくらももこ”さんの実家は、この2丁目交差点付近でかつて八百屋さんを営んでいたそうだ。

江尻宿

江尻宿西木戸跡

江尻宿京方出入口だった、西木戸跡の標柱が立つ。

江尻宿西木戸跡

東海道線が開通した明治22年(1889)は江尻駅として開業し、その後大正時代に清水市が誕生し、昭和9年(1934)に清水駅に改名されたそうだ。

現在は「清水」の地名が一般的で、「江尻」という名は知らなかったが、清水駅西口には「江尻口」とあり、また町名にも江尻の名が残っている。

さて 次は府中宿。 徳川家康の隠居の地を目指そう。 

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