日本橋から19宿目の府中宿。 駿府城の城下町として栄えた東海道最大の宿場町で、駿河の国の国府が置かれたため府中と呼ばれたという。
現在は静岡市だが、戦国時代は今川氏の城下として、その後は徳川家康が駿府城を築いた。 将軍職を退いた家康は、駿府城を隠居地として暮らしたが、「大御所」として幕政に強い影響力を保持し、江戸の2代将軍秀忠と共に二元政治が行われた。
旅行日:2025年12月5日

府中 安部川
【コースデータ】
| 日 付 | 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | |
| 12月4日 | 蒲原 | 由比 | 1里(3.9Km) | 38里21町45間(151.6Km) |
| 由比 | 興津 | 2里12町(9.2Km) | 40里33町45間(160.8Km) | |
| 興津 | 江尻 | 1里2町(4.1Km) | 41里35町45間(164.9Km) | |
| 12月5日 | 江尻 | 府中 | 2里25町(10.6Km) | 44里24町45間(175.5Km) |
| 12月6日 | * 街道歩きは休み。 久能山東照宮へ寄り道して帰宅。 | |||
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
追分を行く
江尻宿西木戸跡を出て進むと、「追分」という町に入る。 東海道から清水湊へ通じる清水道が分岐しており、追分の地名となった。
追分ようかんと清水道道標
東海道から清水湊に通じる清水道との追分に立つ清水道道標。 「是より志ミづ道」とある。
ここには創業元禄8年(1695)という「追分ようかん」本店があり、お土産に買って帰る。 昔ながらの竹皮に包まれた、上品な甘さの羊羹だった。

都田吉兵衛供養塔
都田の吉兵衛は通称”都鳥”といい、清水次郎長の子分・森の石松を斬殺した侠客。 この地で次郎長は吉兵衛の胸を槍で貫き、石松の仇を討った。 そして死体を荒縄で巻き、天秤棒で担いで清水に帰ったという。
この清水次郎長は維新後に任侠から足を洗い、富士山麓の開墾や海運業などを行ったという。

姥ヶ池と弁財天
何でもないような小さなお堂と、水たまりのような小さな池。 しかし「姥ヶ池と弁財天」は平安時代からの古い伝説を持つという。

延暦年間(782~806)、この地に住む金谷長者の子供がひどい咳の重病を患い、乳母は子供の身代わりとなり、病気治癒を祈願してこの池に入水。 願い叶って子供は回復、長者は感謝して畔に社を建てたと伝わる。
そして、この池の畔で「姥かいな」と呼べば、それに答えるかのように泡が出てくるようになったとか。 以来、姥ヶ池と呼ばれるようになったという。
やがて追分踏切。 東海道線と静岡鉄道が並走している。

民謡「ちゃっきり節」は遊園地のCMソングだった
久遠寺観音道道標
説明版によると、久遠寺はもともと久能山にあったが、武田信玄が久遠城を築いたため移築された。 そして明治維新で廃寺となったが、山岡鉄舟が再興し鉄舟寺と改めたという。

上原堤(宗旦池)
久遠寺観音道道標のすぐ先にイオン清水店入口がある。 狐ヶ崎ヤングランドという遊園地の跡地だったそうで、まるで遊園地に入っていくような感じである。

上原(うわばら)堤(宗旦池)は、農業用水の溜め池から遊園地のボート池などに利用されたが、遊園地は平成5年に閉鎖された。 下の写真はイオンの入口側から撮ったもので、東海道は反対側の池沿いを進む。
この宗旦池の説明版によると、民謡の「ちゃっきり節」は、この遊園地のCMソングだったそうだ。 これは驚きである。

上原子安地蔵堂
徳川家康が武田勝頼を攻略するにあたり、ここで武田家家臣で江尻城代の穴山梅雪と会見し、梅雪は家康の誘いにのり徳川方につくことを決めた。 武田家滅亡に繋がる重要な地である。

有度十七夜山
上原鎮守十七夜宮がある千手寺。 12月だというのに、まだ紅葉している。

消えた草薙神社の大鳥居
街道はやがて県道407号に合流する。 この県道沿いに草薙神社の大鳥居があるはずだが無くなっていた。 自宅に戻り調べると、撤去されたとのこと。
草薙一里塚跡
県道に合流すると、日本橋から43里の草薙一里塚跡の碑が立つ。 なぜか大きな狸も一緒に立っている。

消えた草薙神社の大鳥居
小さな川を越え、無名の信号交差点左に草薙神社の大鳥居があるはずだが消え去っていた。
草薙神社は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀る神社である。 日本武尊が東征の途中この地で襲われ、周囲の草原に火を放たれたが、剣で草を薙ぎ払い難を逃れた。 この剣が「草薙剣」で、後に三種の神器の一つとなった。
このような由緒ある神社の鳥居が老朽化し、倒壊の危険があったので静岡市が調べたところ、草薙神社の所有ではなく持ち主不明だったそうである。 そのため2020年に撤去されたそうだ・・・
達磨さんが立つ東光寺
草薙神社大鳥居跡を曲がり旧道に入る。 静かな旧道を進むと、沿道に緑が増えてきた。 生産緑地とあり、造園用の樹木を栽培しているようだ。

谷田山東光寺。 門前には迫力ある顔の達磨大師が立つ。

達磨の立像は珍しいそうだが、良く知っている「だるまさん」とはずいぶん違う。

東名高速の下を潜ると、大谷石にガッチリ囲われた秋葉山常夜燈が現れる。

街道消滅地点。 現在の道はゆるく左にカーブするが、往時の街道は直進して国道407号を横切り、静鉄の県総合運動場駅のあたりに繋がっていた。

鉄道が街道を分断
やがて目の前にJRの広大な貨物ターミナルが広がり、街道は分断されている。 この敷地内には東海道線と新幹線が走り、静鉄が頭上を走っている。
街道の消滅点には旧東海道記念碑が立っている。

すぐ横の地下道で鉄道下を潜り反対側に出る。 地下道は1車線道路で、途中にすれ違い用のスペースが設けられている。

地下道を抜け旧道に戻ると古庄の町に入る。

長沼一里塚跡
国道1号を少し歩き、長沼交差点で再び旧道に入る。 やがて日本橋から44里の長沼一里塚跡の碑が立つ。

バンダイホビーセンター
静鉄の長沼駅前に、ガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)の生産拠点であるバンダイホビーセンターがある。

街道脇を静鉄清水線がしばらく並走する。 様々にラッピングされたカラフルな電車がやってくる。

大型商業ビルが街道を分断する
やがて街道は国道1号に行く手を遮られ、国道の向かいは「Mark is 静岡」という大型ショッピングモールである。
街道は国道を斜めに横断してショッピングモールを突き抜け、曲金へと続いていた。

静鉄柚木駅まで迂回して、歩道橋で国道1号を横断する。 歩道橋の上から東京方面を見ると、国道の真正面に富士山が大きくそびえていた。

東海道線や新幹線の下を潜り、旧街道の復活地点に向かう。

鎌倉殿の13人「梶原景時」滅亡の地
地下道の途中で階段を上がり、旧街道に復帰して進むと軍神社がある。 日本武尊が東征の折に戦勝祈願したと伝わり、徳川家康は天下統一後に旗と鉾を納めたという。
下の写真正面は法蔵寺。 軍神社は右手にある。

法蔵寺前を左に曲がると馬頭観音が立つ。 正治2年(1200)、梶原景時の愛馬「磨墨」が敵の矢に斃れ、丁寧に葬ってくれるよう村人に頼み、村人たちが供養のために建てたと伝わる。

曲金観音堂
街道を先に進むと、この地で滅亡した梶原一族の霊を祀る曲金観音堂がある。
鎌倉幕府の有力御家人である梶原景時は、頼朝死後に幕府を追われ一族を率いて京へ上洛の途次、幕府からの追手とここで合戦になり一族全員討死した。

「梶原景時」を知ったのは、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。 俳優の中村獅童が演じていたが、NHKの大河ドラマは歴史の勉強になることが多い。
府中宿 江戸城無血開城のネゴが行われた
曲金観音堂の前のY字路の分岐を右に進み、東海道本線と新幹線のガードを潜ると、春日一丁目交差点で国道1号にぶつかる。 街道は国道1号を斜めにクロスして、府中宿へと入っていく。

府中宿東見付跡
春日一丁目に架かる歩道橋で国道1号を渡ると、歩道橋の下に府中宿の東見付跡の碑が立つ。
「東海道膝栗毛」の作者である十返舎一九は府中宿の出身で、そのため主人公の弥次さんも府中生まれとなっているそうだ。

街道沿いに立つ旧町名の碑を見ながら進むと、「金運上昇の神様」といわれる西宮神社がある。 少々お賽銭を奮発し、「老後資金に困りませんように・・・」とお願いする。
神社境内から街道方向を見ると、鳥居の向かいに原田だるま店。 どうも廃業したようだ。

街道は賑やかな静岡市中心街へと進み、街道沿いに本陣や脇本陣跡を示す標柱が立つ。 府中宿には本陣・脇本陣とも各2軒あったが、現在はそれを偲ぶ遺構は失われた。

西郷隆盛・山岡鉄舟会見の碑
江戸城攻撃を目指して進軍する新政府軍の西郷隆盛と、旧幕府側の山岡鉄舟がこの地で会見したという碑が立つ。
この会談で西郷は「慶喜の身柄を備前藩に預ける」「江戸城を明け渡す」「武器・軍艦を引き渡す」など、慶喜助命と徳川家存続に7つの条件を提示。 そして山岡は勝海舟と西郷との直接会談を設定した.
この会見から5日後に西郷と勝の会見が実現し、江戸城無血開城に繋がった。 もともと新政府軍は江戸城総攻撃開始日を3月15日に定めていたが、その2日前に江戸が戦場になることが回避されたことになる。

江川町交差点角に、駿府城の刻印入り石垣石が置かれている。

静岡市内から見る南アルプス
今回の街道歩き旅はここ江川町交差点で終了。 静岡駅前のホテルに一泊し、明日は駿府城址と久能山東照宮を訪れる予定である。
ホテルで一泊した翌朝、窓から外を見ると白く雪を戴いた山が見えていた。 たぶん南アルプス最南端の聖岳(3,013m)と赤石岳(3,121m)だろう。 朝から嬉しい眺めである。

京の三条大橋まで残り約82里(320.1Km) まだまだ先は長いが、これから冬になる。 寒い時期に歩くのは嫌なので、暖かくなる春まで街道歩きはお休みしよう・・・

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