広島・尾道旅行 その1 メチャ混みだった平和記念館と閉城した広島城

昨年は妻の入院などで旅行に行けなかったが、妻の体調も元に戻ったようなので、久し振りにどこかへ行こうと、広島の厳島神社を訪れることにした。

厳島神社は二人とも初めてであり、以前から「平家納経」を見たいと思っていたので、思い立ったら吉日!と云わんばかりにホテルを予約した。

また せっかく広島まで行くので、倉敷にも寄ろうかと考えたが、観光地化した倉敷よりも尾道のほうが風情があると、尾道でも1泊することにした。

まずは広島を訪れた初日に、平和記念館と広島城を訪れた記録である。

旅行日:2026年4月19日 ~ 4月22日

【旅行日程】

日 付主な訪問先宿泊地
2026年4月19日広島へ(東京~広島)、平和記念館、広島城広島
4月20日厳島神社
4月21日尾道移動、千光寺と向島散策尾道
4月22日福山城、帰京(福山~東京)帰京
目次

新幹線でトロトロ移動

飛行機の利用も考えたが、時間はあるので新幹線 それも「ひかり」の利用で広島を目指す。 まぁ「ジパング倶楽部」の利用で3割引きなので、その金額は大きい。

妻は脊椎管狭窄症の手術を受けたので、あまり長時間の座りっぱなしは避けようと、新大阪で「ひかり」を下車。 30分ほどホーム上をウロウロして足腰を伸ばし、山陽新幹線の「さくら」に乗り換え、12時少し前に広島に到着した。

メチャ混みだった平和記念館

予約した八丁堀のホテルに荷物を預け、平和記念館目指して歩き始める。

爆心地説明の碑

地図を見ながら歩く途中に、原爆の爆心地を示す碑が立っていた。

昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、この地の上空約600mで炸裂し、約3000~4000度の熱線と爆風、放射線により、瞬時に多くの人々の命が奪われたと説明されている。

広島爆心地

平和記念館

平和記念館に向けて歩くと、外国人観光客が多く目についた。 それもツアーで来たようで、旗を持つ人が先頭を歩いている。 「外人が多いな!」なんて思いながら平和記念館に入場すると、そこは予想外の混雑であった。

平和記念館入口。 中に入ると、入場券を買う人が長蛇の列をなしていた。

入場券を購入して中に入ると、展示室はすし詰め状態。 展示品を見るどころではない。 人に押されるようにゆるゆると進み、自分の思うような方向には動けない。 日本人より欧米系の観光客のほうが圧倒的に多く、中国の日本への渡航自粛のせいか、中国語は殆ど聞こえてこなかった。

だいぶ前であるが、仕事で広島出張時に訪れた時はゆっくりと見ることができたが、今回は人混み見物のような感じであった。

しかし 広島や長崎の惨禍を、海外の人たちに知ってもらうことは良いことである。

平和記念公園

毎年8月6日に平和記念式が開催される、丹下健三により設計された平和記念公園。

平和記念公園

すこし中心がずれた。

平和記念公園

「原爆の子の像」の周りには、多くの千羽鶴が奉納されている。

千羽鶴

原爆ドーム

広島県物産展示館だった原爆ドーム。 何回見ても原爆の恐ろしさが伝わってくる。

原爆ドーム

ひろしまゲートパーク

平和記念館の見学を終え、広島城に向けて大きな公園の中を抜けて歩いたが、日曜日なので賑やかに何かのイベントが開催されていた。

大きな体育館などもある公園だが、「ひろしまゲートパーク」という場所であった。

広島ゲートパーク

広島城 別名「鯉城」は広島東洋カープの名の由来

広島城は毛利輝元により築城されたが、関ケ原の戦いで輝元は西軍の総大将となり敗戦。 広島城を含め、多くの所領を没収された。 その後福島正則が広島城に入り、城の改修や城下町を整備したが、幕府に警戒され信濃の国に改易されてしまった。

このような歴史を持つ広島城は、昭和20年(1945)まで天守を始めとする城郭建築が残っていたが、残念ながら原爆投下により倒壊した。

その後 高度成長期に再建されたものが現在の天守閣で、日本100名城に指定されている。 しかし 再建後68年を経過し、老朽化のため今年の3月22日に閉城となった。

テレビのニュースで「閉城」と聞いた時、「閉城ってなんだ?」と思ったら、要するに「閉館」ということで、天守閣の中に入れなくなったということだ。

平成3年に復元された二の丸表御門から入城。 右の建物は平櫓。

広島城

中御門から本丸へ。 原爆が投下されるまで門は残っていたそうで、残された石垣には原爆の傷跡が残る。

広島城

広島城天守閣。 望楼型という古い建築様式だそうで、かつては南と東に3階建ての小天守が立ち、それぞれを渡櫓で結んていたそうだ。 さぞかし見応えのある城だったのだろう。

広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれ、野球の広島東洋カープの球団名の由来だそうだ。 なぜ「鯉城」なのかというと、「堀に鯉が多かった」とか、外壁が黒の下見板張りで「鯉を連想させる」とかだそうだ。

広島城

黒の下見板張りというが、経年劣化か茶色に見える。 しかし迫力ある姿をしている。

広島城

天守閣入口は閉ざされていた。

広島城閉城
広島城閉城

広島焼 店はどこも満席だった

夕飯は「広島焼で一杯!」と思ったが、数軒回ってもどこも満席。 待つのは面倒なので、結局居酒屋で飲んで食ってと・・・

広島での宿は、八丁堀にある「ホテルインターゲート広島」に2泊。 市内の中心部に位置し、原爆ドームや平和記念公園、広島城も徒歩圏内で、観光の拠点として立地は良い。

部屋は綺麗で広く、朝食のビュッフェは広島の郷土料理を含めて品数も多く、一般的なビジネスホテルよりもワンランク上の印象であった。

そのせいか、平和記念館と同様に、このホテルも外人観光客で溢れかえっていた。

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