中山道 第39宿 須原宿(2) 水舟の里と買えなかった「桜の花漬」

前日は電車の時間の関係でJR倉本駅で終了し、木曽福島に戻って2泊目を過ごした。 そして翌朝、再度倉本駅に戻り、3日目の歩き旅のスタートを切る。

この日の予定は、前日の目標であった須原宿を通って野尻宿までである。 「天気良し! 距離短し!」なので、この日ものどかな街道風景を、のんびりと楽しみながら歩くことになりそうである。

旅行日:2019年10月31日 ~ 11月2日

【コースデータ】

2019年区 間宿間距離日本橋から
10月31日藪原宿宮ノ越宿1里33町(7.5Km)67里15町(264.8Km)
宮ノ越宿福島宿1里28町(7.0Km)69里7町(271.7Km)
11月1日福島宿上松宿2里14町(9.4Km)69里7町(271.7Km)
上松宿倉本駅3里09町(12.8Km)71里21町(281.1Km)
11月2日倉本駅須原宿
須原宿野尻宿1里30町(7.2Km)74里30町(293.9Km)
合 計11里06町(43.9Km)

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

JR倉本駅から歩きを再開

木曽福島から倉本駅まで移動。 下車したのは私一人だった。 もちろん無人駅。

倉本駅

倉本集落へ

旧街道は国道19号から倉本集落へと続いていた。 しかし現在は中央本線の線路に阻まれ消滅している。

倉本駅を回り込むように倉本集落へ入ると、線路で消滅した旧街道が復活して左手から合流してくる。

倉本集落

すぐ先には中央アルプスの空木岳(2864m)登山口があった。 駒ヶ根とか木曽駒からの縦走と違って、ここから山に入れば静かな山旅ができると思うが、距離は長そうだ。

日本の原風景のような、旧街道らしい雰囲気の倉本集落。 往時は茶屋を営んでいたようだ。

倉本集落
倉本集落

天王様の石仏群

集落を抜けると「天王様の石仏群」と呼ばれ、「牛頭天王」と刻まれた文化6年(1809)建の常夜灯や、「除三尺之罪」と刻まれる庚申塔など、多くの石塔・石仏が並ぶ。

倉本集落

「除三尺之罪」と刻まれた庚申塔には説明板があり、非常に判りやすく庚申の日の説明が書かれていた。

庚申待(こうしんまち)とは?

暦の上で六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜を眠らずに過ごして長寿を願う信仰を庚申待(こうしんまち)という。

人間の身中には、誰でも三戸九虫(さんしきゅうちゅう)が宿り、庚申の夜に人が寝ている間に、この虫は天へ上ってその人の罪過を天帝に告げ、人の生命を縮めるという。 そしてこの虫の報告が五百条になると、その人は死ぬそうである。

そこで庚申の日は、三戸の虫が天へ上らぬよう、寝ないで夜を過ごすという。

石仏群の先で道は左に進むが、旧街道は右に分岐して草道となり坂を下っていく。

倉本集落

坂を下ると舗装路に出るが、旧街道は道路を横切って大沢川を渡っていたという。 現在は橋もないし、その先の道筋も不明なようである。 大沢川の突破はあきらめ、舗装路を右に曲がって国道19号に出た。

池の尻集落

国道19号を進むと万場という交差点がある。 倉本集落から大沢川を渡り、消滅した道筋はこの付近に通じていたようである。

倉本一里塚跡

国道19号の右手の駐車スペースに、日本橋から74里の倉本一里塚跡の碑が立つ。 説明版によると、現在地より20mほど南にあったという。

倉本一里塚跡

池の尻立場

池の尻交差点で国道を離れ、右へ分岐する金吾坂を下って池の尻集落に入る。 池の尻集落は、かつては立場であった。

池の尻集落
池の尻集落

集落を抜けると道は右手に大きく曲がっていくが、街道はそのまま直進して草道に入り、廃業したレストランの前を通って国道に合流する。

旧中山道

雑草かき分け線路を強行突破

池の尻集落を抜け国道19号を進むと、左の中央本線に向かう旧道がある。 踏切の無い線路に阻まれるが、旧道はその先にも続いているそうだ。 中山道を歩いた先人たちのサイトをみると、線路を渡って反対側にあるエドヒガン桜を見に行っている。 では私も・・・ と行くことにした。

国道から分岐する旧道はあったが、とんでもなく雑草が生い茂っていた。 雑草の向こうに、線路横断禁止の看板が立っていたが、そこを目指して背丈まで伸びた雑草を掻き分け掻き分け、強引に線路を突破した。 警官に見つかったら、確実に怒られる。

旧中山道

なんとか雑草を突破して線路反対側の道路に出たが、そこにある養殖池で作業していた人が「あれがエドヒガン桜だが、今は行けないので道路に沿って進みなさい」と親切に教えてくれた。 しかし 親切というより、体よく追っ払われたのだろう。 私有地なのだろうか? エドヒガン桜は諦めて道路を進むことにした。

旧道マップ

道路を進んで、昔は馬宿だったという一軒家の先で踏み跡に入り、再び踏切の無い線路を横切って国道に戻った。 この草道は手入れされているのか、歩きやすかった。

旧中山道

いずれにしても踏切もない線路を渡るという危険を冒すことになるので、このエドヒガン桜を見に行くことはお勧めできない。 

見落としたエゲ坂の旧道

国道右手に阿寺渓谷やフォレスパ木曽の案内標識の立つところで、右の脇道に入る。 国道と木曽川に挟まれた道を5分ほど進むと、再び国道に合流する。

合流した先の国道沿いに、大きな枝垂桜が聳えていた。 春に花を咲かせた姿を見てみたい。

枝垂桜

糸瀬山登山口の案内板を過ぎた先で猿沢の橋を渡る。 旧道は猿沢から左の山に入り、須原宿に通じていたが、今は線路に遮られて行けないという。

そのまま国道をさらに進むと、左に分岐する道が現れ、国道の歩道は消滅。 左の中央本線と国道に挟まれ、国道より一段高い所を通る道が現在の街道である。

旧中山道

この側道の終点近くの踏切で線路を越え、左に曲がって戻るように線路沿いの急坂を上がる道が猿沢からの旧道の続きで、エゲ坂と呼ばれている。 この坂を上って猿沢方向に旧道が残るが、途中で藪に覆われて廃道と化しているそうだ。

残念なことに踏切への道を見落としたようで、気付いたら須原宿の入口まで来てしまった。 戻る気力も失せて、そのまま須原宿へと入っていった。

須原宿

須原宿は現在地より下流にあったが、江戸時代に洪水により流失。 現在地に移転する際、道幅を5間として道の中央に用水路を通した。 現在でも須原宿は湧水が豊富で、宿場内には共同井戸や、大木をくり抜いた「水舟」が道端に置かれ、ゆったりとして穏やかな宿場風景を形作っている。

国道から須原駅への分岐点には「左 中山道須原宿へ」の石柱や須原宿の看板、一里塚跡の碑などがあり、いかにも須原宿入口であるように装っている。 しかしもう少し国道を進み、左に分岐して坂を上がる細い道が旧街道で、坂を上がると須原駅前からの道に出る。

須原宿

須原宿名物 大和屋の「桜の花漬」

須原駅前には、須原宿名物といわれる「桜の花漬」を売る大和屋がある。

「桜の花漬」とは八重桜を塩漬けにしたもので、熱湯を注ぐと花びらがふわりと開く風流なもので、太和屋は江戸時代から続く老舗だそうだ。

私は風流とは無縁の生活を送っているが、ちょっとお洒落に「焼酎のお湯割りに浮かべて一杯!」とやってみようと、買いに行くことにした。

しかし「今年は売り切れました・・・」「今年は天候の影響なのか花が少なく、多くは作れなかった・・・」そうである。 残念!!

須原宿本陣跡と脇本陣

日本橋から39番目の宿場である須原宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠24軒あったという。

本陣は木村家で問屋も兼ねていたが、今は空地となっている。

須原宿本陣跡

脇本陣を勤めた西尾家は、江戸時代から酒造業。 現在も「木曽のかけはし」の蔵元である。

須原宿脇本陣跡

水舟と宿場風景

宿場の中央付近で道はくの字に曲がり、常夜燈が街道風景にアクセントをつけている。

須原宿

宿場内には用水路が流れる。

須原宿

街道沿いに置かれる水舟。 丸太をくり抜き、湧き出る清水をなみなみと湛える水舟は、須原宿独特の景観を形作っている。

須原宿

正岡子規の碑と水舟。 正岡子規は明治24年(1891)に須原宿を訪れたという。

須原宿水舟

丸太を縦にくり抜き、餅つきの臼のような形をしている。

須原宿

旧旅籠 柏屋

ガラス戸を除いては、旅籠の雰囲気を残す柏屋。 2階の軒下に「宮丸北之組」と「三都講」と書かれた講札が下がる。

旧旅籠柏屋
旧旅籠柏屋

往時の街道はこの旅籠柏屋の前を右折し、坂を下っていた。 現在は直進して定勝寺前を通る道があるが、昔はこの道は定勝寺への”お寺小路”と呼ばれて行き止まりであった。

定勝寺 木曽三大寺の最古刹

定勝寺(じょうしょうじ)は永享2年(1430)創建したが、洪水で3回ほど流され、慶長3年(1598)に現在の地に再建されたという。 木曽福島の興禅寺、長福寺と共に木曽三大寺に数えられ、山門、本堂、庫裡が国の重要文化財に指定されている。

山門と庫裡。

定勝寺
定勝寺

桝形「鍵屋の坂」

街道は旅籠柏屋の前が桝形となって、右に曲がって坂を下る。 この坂は「鍵屋の坂」と呼ばれ、道の中央に用水が流れ、左右に道がある風景は、江戸時代の原風景を残しているといわれるが、転落防止用の柵がその雰囲気を壊している。

鍵屋の坂

須原宿というのは名前も知らない宿場だったが、宿場の雰囲気を残す割には観光地化しておらず、静かな大変印象深い町であった。

鍵屋の坂を下って左に曲がり、須原宿を抜けて野尻宿を目指して歩を進める。 そして この野尻宿までの間で、「我が家は〇〇〇〇の子孫です」と、まさに「えぇ~~ぇ!」と驚きの人と出会うことになった。

いったい誰の子孫に出会ったのか? それは次回のお楽しみ・・・

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