中山道 第38宿 上松宿 中山道三大難所の一つ「木曽の桟」を通過する

木曽福島で1泊した翌日、相変わらずの快晴に恵まれて歩を先に進める。

木曽福島で泊まった宿は、中山道を歩く外人ばかりであったが、これら外人は馬籠から妻籠、奈良井などを中心に歩いているようだ。 そのため木曽福島から上松に向けて歩いていても、外人の姿を見ることは無かった。

上松宿までの間には、中山道三大難所の一つである「木曽の桟(かけはし)」を通過する。 いまは危険な箇所はないと思うが、果たしてスリリングな体験が待ち受けているのだろうか?

旅行日:2019年10月31日~11月2日

【コースデータ】

日付区 間宿間距離日本橋から
2019年10月31日藪原宿宮ノ越宿1里33町(7.5Km)67里15町(264.8Km)
宮ノ越宿福島宿1里28町(7.0Km)69里7町(271.7Km)
2019年11月1日福島宿上松宿2里14町(9.4Km)69里7町(271.7Km)
上松宿倉本駅3里09町(12.8Km)71里21町(281.1Km)
2019年11月2日倉本駅須原宿
須原宿野尻宿1里30町(7.2Km)74里30町(293.9Km)
合 計11里06町(43.9Km)

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

目次

木曽町役場の脇道から塩渕集落へ

木曽福島で一泊した翌朝、「上の段」の町並みを訪れた後に上松宿を目指して出発する。 上の段から木曽福島駅前に出て、ここが本日の出発点である。

木曽福島駅

駅前の先で左に分岐する道に入り、御嶽山木曽本宮前を通って進むと木曽町役場の前に出る。 町役場の建物に沿って、右に入る路地を進む。

木曽町役場

町役場を回り込みように進むと、草道の下り坂となって塩渕の集落へ降りていく。

旧中山道

塩渕集落と塩渕一里塚

草道を下ると塩渕集落である。 塩を運ぶ馬が木曽川に転落し、塩を撒いてしまったことが「塩渕」の名の由来と案内板に説明されていた。

塩淵集落

集落内に塩渕一里塚跡の碑が立つ。 「江戸より70里 京へ67里」と刻まれている。

塩渕一里塚跡

通れなくなった旧中央本線中平トンネル

ネット上の中山道を紹介する記事では、旧中央本線の中平トンネルを歩いて通過した人が多い。 廃線マニアではないが、薄暗いトンネルを少々心細さを感じながら歩くことを楽しみにしていたが、残念ながら通行止めとなっていた。

塩渕集落を抜け、旧道はJR東海の木曽福島変電所にぶつかり消失する。 そのまま道なりに県道461号に入り、少し進むと左に分岐する坂道が旧道である。

旧道に入り坂を上っていくと、眼下にダムが見えてきた。 下流にある寝覚発電所のための取水ダムだそうだ。

木曽川取水ダム

坂道を上がると、かつて立場茶屋が置かれた中平集落。 旧道は消滅しているので、国道19号の高架下を潜り、旧中央本線の廃線跡をたどると旧中平トンネルが現れた。

旧中央本線中平隧道

残念ながら通行止めとなっていたので、右の国道下をくぐり、階段で国道に出る。

木曽観光連盟発行の「信州木曽路 中山道を歩く」という小冊子では、この国道を「元橋」交差点まで歩くようにガイドしている。 しかし国道はなるべく避けたいので、国道を渡って向かいの山の斜面につけられた道を上がって小さな集落を通る道に入る。

集落を抜けると右から草道が合流してきが、Googleマップを見ると旧中山道となっていた。

旧中央本線跡

御嶽山が見えない遥拝所

国道19号の元橋交差点の先で中央本線の下をくぐり、神戸(ごうど)集落に入ると御嶽山の遥拝所がある。 昔はここから御嶽山を望むことができたそうだが、現在は木立に遮られて見ることはできない。

御嶽遥拝所

神戸集落を抜けると御嶽遥拝所。 現在は少し先に進んだところから御嶽山は見えるという。

御嶽山遥拝所

遥拝所付近は高い木々に覆われ、木漏れ日が気持ち良い街道風景である。

旧中山道

道の駅 木曽福島

中央本線沿いに進むと、眼下に「道の駅 木曽福島」が見える。 食事やトイレ休憩に良いのだが、線路や国道に阻まれる。

旧中山道

御嶽山が見えた

「道の駅 木曽福島」のあたりで、山の合間に御嶽山(3067m)を望むことができた。 中山道で御嶽山が見えるのは、鳥居峠とここだけだそうだ。

薄く新雪をまとう姿は美しいが、2014年の噴火で多くの犠牲者が出たことは記憶に新しい。

木曽御岳山

御嶽山を見て線路沿いに下り、下りきった所で線路を潜り国道に合流する。

木曽義仲ゆかりの沓掛馬頭観音堂

板敷野集落には、木曽義仲と愛馬の伝説が残る沓掛馬頭観音がある。 それも一里塚の上に建っているという。

国道を外れて板敷野集落へ向かう。

板敷野集落

静かな集落を抜け、舗装路が右に曲がるところで、線路沿いの草道に入る。 この草道が旧中山道だという。

板敷野集落

草道を進むと、やがて一段高いところに沓掛馬頭観音堂が現れる。 木曽義仲が愛馬を弔うため寛保元年(1741)に建立したが、明治43年(1910)の鉄道工事で現在の地に移設された。 お堂が建つ土盛りは沓掛一里塚だという。

沓掛馬頭観音堂
木曽義仲と沓掛馬頭観音堂

木曽義仲の名馬は人の言葉を理解したという。 そして義仲が木曽の桟の絶壁を通りかかり、目算で「七十三間跳べ」と命じた。

馬は命ぜられるまま正確に七十三間跳んだが、実際は七十四間あったので、人馬ともに川にへ転落。 義仲は九死に一生を得たが、名馬は命を落としてしまった。

そこで義仲は金の観音像を作らせて、堂を建てて馬の菩提を弔ったという。

(お堂前の案内板より抜粋・要約)

旧中山道はお堂前から先に進めないため、舗装路に戻り旧国道19号に合流する。 この合流点に日本橋から71里の沓掛一里塚の碑が立つ。 碑には「右坂上に在り」と彫られていた。

沓掛一里塚跡

木曽の桟 三大難所の一つを越える

木曽路の谷は益々深くなり、まもなく「木曽の桟」である。

昔の旅人が「木曽のかけはし太田の渡し碓氷峠がなくばよい」と詠んだ中山道の三大難所の一つで、当時は丸太を絶壁に打ち込み、横に板を並べて藤蔓など結わえただけの桟道だった。 しかし正保4年(1647)に焼失し、その後石垣で補強され橋が架けられたという。

赤いアーチ橋「かけはし」が見えてくる。 名前からして「木曽の桟」に間違えやすいが、往時の「木曽の桟」は対岸に向けて架けられた橋ではない。

かけはし

これが現代の「木曽の桟」だ!

現在は旧国道が架かり、車はもちろん、歩いていても木曽路の難所と気付くことはない。 かろうじて道路下に保存された石垣が、往時の姿を偲ばせてくれる。 それにしても難所として有名な割には、拍子抜けする観光スポットである。

木曽の桟

「かけはし」を渡って、対岸から「木曽の桟」の石垣を望む。 2本の柱に挟まれた中央の石垣の積み方が異なっているが、この部分が石垣改修時に橋を架けた部分だそうだ。

木曽の桟
松尾芭蕉と木曽の桟

貞享5年8月13日(1689年9月16日)、松尾芭蕉は妻籠宿を出立し、福島宿を目指したそうである。

なんと1日で木曽路45kmを歩くという行程で、石垣造りとなった木曽の桟を通った時に、「桟橋や命をからむ蔦葛」という句を残した。

松尾芭蕉忍者説・隠密説がある。 1日45Kmも歩いたとなると、この都市伝説も真実味を帯びてくる。

中山道を歩いた先人たちの記録を見ると、木曽の桟から上松にかけての国道は、途中から歩道が無くなると記されている。 激しく車の行き交う道を歩道なしで歩くのを、「現代の難所」と表現する人もいた。

しかし現在は歩道が整備され、さらに対岸に「かけはしトンネル」が開通し、国道19号は対岸に移ったため、交通量は少なく安心して歩ける区間となっていた。

旧国道19号

木曾川の流れ。 手前の岩は急流で丸く削られたようである。

木曾川

途中小さな沢に架かる新茶屋橋を渡り、左に折れて中央本線沿いに旧道が残るというが、ここはパスしてしまった。

上松宿

国道19号に合流し、笹沢交差点で右に逸れて上松宿に向かう。

日本橋から38番目の宿場である上松宿は、木曽十一宿のほぼ中央に位置する。 尾張藩がこの上松に材木役所を設置した結果、木曽5木の生産は急増。 上松駅付近は木材の一大集積地として発展した。

江戸側から上町、本町、仲町、下町の4町から成るが、度々の火災にあい、上町だけが古い家並みを残している。

十王堂跡

宿場入口の十王橋手前に高札場と十王堂があったが、十王堂は慶応3年(1867)の洪水で流されてしまった。

そして75年後に、流された地蔵尊が河原で見つかり、十王堂のあった場所に安置されたそうだ。 現在は馬頭観音や双体道祖神など多くの石塔・石仏群が置かれている。

上松宿十王堂
男女双体道祖神

上松宿の町並み

昭和25年の大火で宿場の大半を焼失したが、焼け残った上町に宿場時代の町並みが残る。

上松宿

蔵造りのような建物があった。 和菓子屋さんであった。

上松宿

皇女和宮が宿泊した本陣は、現在は歯医者さん。 面影が無いのは残念である。 向かいには問屋と脇本陣を務めた原家がある。

上松宿本陣跡

八幡神社と王林院

八幡神社の本殿は正徳4年(1714)建立で、江戸中期の代表的な社殿建築だそうだ。 毎年9月5日には”芸ざらい”と云われる、「奉納獅子狂言」が行われて盛り上がるという。

上松宿八幡宮

王林院は木曽義元の次男・王林創建と伝えられ、明和3年(1766)落成の山門鐘楼は、明治26年の火災から難を逃れた。

上松宿玉林院

本町一里塚跡碑

桝形を形成する角に、日本橋から72里の本町一里塚碑が立つ。 一里塚はこの石碑より30mほど京寄りにあったというが、両塚とも現存しない。

本町一里塚跡碑

桝形を抜けると仲町・下町と宿場の中心であった町並みが続くが、現在はその面影はない。

この日は次の須原宿まで歩き、そして出発した木曽福島に戻って宿泊する予定である。 しかし須原から木曽福島方面の電車は15時04分。 これを逃すと、次は17時44分まで無い。

上松から次の須原宿までは約13Kmもあり、寄り道も休憩もせずに歩き続けたとしても3時間は要する。

上松駅の通過が12時30分であり、15時04分の電車に乗るにはジョギングでもしていかないと間に合わないことが判明。 そこでこの日の目標を変更し、途中の倉本駅を終点として歩き続けることにした。

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