昨年12月に野尻宿から三留野宿まで歩いた。 そして翌年の桜の季節に妻籠や馬籠を歩く予定であったが、残念ながら新型コロナウィルスの感染拡大により自粛せざるを得なかった。 そこで秋の紅葉を楽しもうと、1年ぶりの中山道歩き再開である。
今回は木曽路のハイライトとなる妻籠宿から馬籠宿へと進み、木曽路を抜けて美濃の落合・中津川・大井宿までと、日本100名城の一つである「岩村城」を訪れる2泊3日の旅である。
新型コロナウィルスのせいで木曽路から外人観光客の姿は消え、日本人観光客も少なかったので、静かな木曽路を楽しむことができた。 しかし中山道のハイライトというべき区間なのに、何とカメラを忘れるという、大失態を犯してしまった。
旅行日:2020年11月4日
【コースデータ】
| 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | ||
| 2020年 11月4日 | 三留野宿 | 妻籠宿 | 1里半(5.9Km) | 80里8町(315.0Km) |
| 妻籠宿 | 馬籠宿 | 2里(7.9Km) | 82里8町(322.9Km) | |
| 2020年 11月5日 | 馬籠宿 | 落合宿 | 1里5町(4.5Km) | 83里13町(327.4Km) |
| 落合宿 | 中津川宿 | 1里(3.9Km) | 84里13町(331.3Km) | |
| 中津川駅 | 大井宿 | 2里半(9.8Km) | 86里31町(341.1Km) | |
| 合 計 | 8里5町(37.9Km) | |||
| 2020年 11月6日 | 明知鉄道で「岩村城」へ | 日本三大山城の一つで六段壁と女城主の城へ寄り道 | ||
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
マスクは持ったが カメラを忘れた!
2020年春から中山道歩きを再開する予定でいたが、4月に新型コロナウィルスの蔓延により「緊急事態宣言」がなされ、「外出自粛」という事態に陥ってしまった。
しばらく自粛は続いたがコロナもやや下火となり、政府の「GoToトラベル」に協力しようと理由を付けて、中山道歩きを再開することにした。
・・・ということでマスクをたくさん持参し、ようやく東の空が明るくなり始めたころに自宅を出発。 寝坊せずに予定通り出発でき、「やれやれ」と安堵したその時、「カメラ忘れた!」と突然気付いた。
予備のバッテリーやSDカード、充電器などは、忘れないように入念にチェックした。 しかし肝心のカメラをリュックに詰めた覚えはない。
自宅に取りに戻る時間的余裕もない。 「まぁ スマホで何とかなるだろう・・・」と、出鼻をくじかれての出発であった。
南木曽駅から出発
新幹線を利用して、名古屋経由で南木曽駅に到着。
今まで新宿から中央線の塩尻経由で木曽谷に入ったが、自宅最寄り駅からだと、東京駅からの新幹線が圧倒的に便利である。 しかし 自宅を出て5時間近くを要した。 やはり遠い・・・

南木曽駅から跨線橋を渡り街道に出ると、木曽有数の酒造家だった遠山家の屋敷跡に残る枝垂梅が現れる。 春先にはどのように花を咲かせるのだろうか? 見てみたいものである。

しだれ梅のすぐ先の路傍には、須原宿でよく見た水舟が水を湛えていたが、あまり手入れはされていない。

かつて木曽谷を走っていたD51。 現在は中央本線旧線跡に静態保存されている。

緩やかな神戸坂を上り、神戸集落を目指す。

水舟に生まれ変わった「袖振りの松」
少し急となった坂道を上がりきると神戸(ごうど)集落である。 この集落内には木曽義仲や巴御前ゆかりの「かぶと観音」や「袖振りの松」がある。
神戸坂を上りきると神戸集落となり、街道なのか民家の庭なのかわからないような、綺麗に手入れされた植栽の間を進む。


水舟に生まれ変わった「袖振りの松」
静かな集落を進むと「袖振りの松」の切株があった。 この巴御前ゆかりの松は、松くい虫の被害により平成21年に伐採されたという。
「袖振りの松」の由縁は、「義仲が弓を引く際に邪魔となった松を、巴御前が袖を振って倒し、その松から新芽が出て大きくなった」という、いかにも怪力の巴御前らしい逸話が残る。
かぶと観音
「かぶと観音」には木曽義仲の逸話が残る。 平家打倒を目指して兵を挙げた木曽義仲が、妻籠城の鬼門にあたるこの地に祠を建て、兜の中に納めていた観音像を祀ったという。

このかぶと観音の境内には、伐採された「袖振りの松」が通常の倍以上という、長さ7mもある大きな水舟に生まれ変わっている

両塚が残る上久保一里塚
かぶと観音の境内から変形五差路を通って坂を下り神戸沢を渡る。 この辺りがかつての立場跡のようである。

ダラダラと坂を下り戦沢橋を渡ると周囲は竹林となり、往時の面影を残す石畳の敷かれた上り坂に転じる。 しかしこの石畳は、近年敷かれたものだという。


日本橋から80里で左右両塚が残る上久保一里塚。 久々に両塚が残る一里塚である。

蛇に見えるか? 「蛇石」
上久保一里塚を過ぎ、妻籠城址に向けて緩やかに街道は上がっていく。 途中に「蛇石(へんび石)」と呼ばれ、中山道の名石の一つに数えられるという巨石がある。 そしてその実態は???
くぼほら茶屋跡
「くぼほら茶屋」という茶屋であった勝野家が残る。 「くぼほら」とは変わった名だと思い、調べると「 窪ヶ洞」という地名のようである。
この近辺には良寛の歌碑や、「右つまご 左みどの」と刻まれた道標も立つ。

蛇石(へんび石)
蛇の頭のように見えるという 「蛇石」。 「へんび石」と読むそうだ。
道路工事のため、この蛇石を回り込むように迂回路が設けられ、ぐるりと一周して眺めてみたが、どう見ても蛇の頭には見えなかった。

紅葉の残る妻籠城址へ
街道は上り坂が続き、妻籠城址への入口がピークとなり妻籠宿に向けて下っていく。 妻籠城を調べるとなかなか面白く、せっかくなので妻籠城址へ寄り道をする。
「蛇石」から坂を上っていくと、舗装路に沿って右に分岐する砂利道が現れた。 短い距離だが旧街道のようで、舗装路との合流点には「しろやま茶屋」が廃墟化していた。 いつ頃まで営んでいたのか調べたが、よく分からなかった。

街道は上り坂が続き、もう11月だというのに紅葉を見ることができた。

中山道が3つに分岐する地点が、妻籠城址への入口である。 中山道は中央の道を下るが、妻籠城址は右の山道に入り、約10分ほど上ると本丸に立つことができる。

小牧・長久手の戦いの場になった妻籠城
豊臣秀吉と徳川家康の間で争われた「小牧・長久手の戦い」で、この妻籠城でも戦いが行われ、豊臣方の木曽氏家臣・山村良勝が妻籠城に籠り、徳川方の攻撃を退けたという。
また関ケ原の合戦時には、上田城攻略に失敗して関ケ原に遅参した2代将軍秀忠が、この妻籠城まで進んだときに徳川方大勝利の報に接したという。 徳川にとっては、因縁の妻籠城なのかもしれない。
整備された山道を進み、途中で左右が切れ落ちる土橋などを通って本丸へ向かう。 10分ほどの上りで本丸跡に着いた。

北側を眺めると、薄く雪化粧した木曽駒など中央アルプスの山々が望める。

そして西側の眼下には、妻籠宿や馬籠峠を一望することができる。

馬籠城址から戻り、紅葉を眺めながらくねくねと曲がる坂道を下りながら馬籠宿を目指す。

妻籠城址から妻籠宿までは残り1Km。 もう近い。
この南木曽駅から妻籠城址までの間は、長閑な山里歩きといった雰囲気で、静かな街道歩きを楽しむことができた。 この先も静かな街道歩きが期待できそうだ。

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