新型コロナによる中断を経て、約1年ぶりに再開した中山道歩き。 前日は明智光秀に関係が深いといわれる恵那市明智町を訪れ、大正時代の街並みと「うかれ横丁」の現地視察を行い、そして恵那市内に一泊。
明くる朝、大井宿から次なる大湫(おおくて)宿を目指し、久し振りの街道旅を再開する。
今回のハイライトは、大井宿から大湫宿へと続く「十三峠」だ。 「十三峠におまけが七つ」と謳われた道は、起伏に富んだ尾根道で、鉄道は勿論、国道からも遠く離れた山中を進む。 幾重もの起伏を刻むこの尾根道は、山歩きに親しんだ身にとって大いに心惹かれるルートである。
人里離れた初冬の山道を、カサコソと落ち葉を踏みしめながら進む「十三峠」—— この「十三峠越え」の様子を3回に分けて綴る第1弾の幕開けである。
旅行日:2021年11月9日 ~ 11月12日
【コースデータ】
| 2021年 | 区 間 | 宿間距離 | 日本橋から | |
| 11月9日 | 明知鉄道で「明智」へ | 「うかれ横町」と大正村、明智光秀伝説が残る町へ | ||
| 11月10日 | 大井宿 | 大湫宿 | 3里半(13.7Km) | 90里20町(355.6Km) |
| 大湫宿 | 細久手宿 | 1里半(5.9Km) | 92里2町(361.5Km) | |
| 11月11日 | 細久手宿 | 御嵩宿 | 3里(11.8Km) | 95里2町(373.3Km) |
| 御嵩宿 | 伏見宿 | 1里(3.9Km) | 96里2町(377.2Km) | |
| 11月12日 | 伏見宿 | 太田宿 | 2里(7.9Km) | 98里2町(385.1Km) |
| 合 計 | 11里(43.2Km) | |||
(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。
うかれ横町 恵那市明智町に寄り道
中山道を歩く前に、恵那市明智町を訪れる。
明智町は大正時代の面影を残す街並みと、明智光秀にまつわる数々の史跡で知られている。
しかし それ以上に興味を引かれたのは「うかれ横町」。 その名から酒と金、そして女の匂いが立ち込める妖しい歓楽の面影が頭をよぎる。
↓↓↓↓↓↓↓↓ 今回の旅行の1日目。 「うかれ横町」探訪記はこちら。 ↓↓↓↓↓↓↓↓

十三峠に向けて出発
恵那市内で一泊し、翌日1年ぶりの中山道歩きに復帰。 大井宿から十三峠を越え、まずは大湫宿を目指して出発である。
大井宿は敵の侵入を防ぐため、宿場内に6箇所もの枡形が造られた。 江戸方から宿場に入り、直角に屈曲する枡形を抜け、最後の枡形を曲がると阿木川に架る大井橋となって大井宿の京方出口となる。
旧中野村
阿木川に架る大井橋を渡ると、「東銀座商店街」という商店街に姿を変えた 旧中野村に入る。

リボンジュースにリボンシトロン。 懐かしい看板を掲げる酒屋さん。

旧街道の趣を少し残す旧中野村の街並み。 正面の大きな白壁の家は、旧中野村の庄屋の家である。

旧中野村庄屋の家
かつての屋号は「本酒屋」という 、旧中野村の庄屋の家が残る。 軒下には、道の両側に石柱を立て、板をはめて浸水を防いだという浸水防止壁の石柱が残されていた。

中野観音堂
江戸時代からこの地にあったそうで、傍らには秋葉灯篭が立つ。 また現在は標柱だけだが、中野村の高札場もここにあった。

観音堂の中を見ると、たくさんの仏像が祀られている。 説明版によると、ご本尊は阿弥陀如来立像、その他 弘法太子像や三十三観音像だそうである。

西行ゆかりの地
平安末期の歌人で僧侶の西行は、新古今和歌集を代表する歌人だという。 元々は武士だったが、出家した後は全国を行脚する漂泊の人生を送り、この地で没したという説があるようだ。 そのためか、西行にまつわる史跡がいくつか残っている。
中野観音堂を過ぎて広い通りを進み、坂の上交差点を右方向に進む。

西行硯水公園
奥州の旅から木曽路を経て、この地で3年間暮らしたという西行。 こんこんと湧き出るこの泉の水で、墨を摺ったと伝えられている。 現在の泉には、あまり水はなかった。

硯水公園の先で街道は右に分岐して中央本線の踏切を越え、すぐ先で十三峠への入口へ向かう道を左に曲がる。 踏切の手前には西行公園があり、その先の分岐には西行塚道標が立つ。


いよいよ十三峠に
約3里半(約13.7Km)という距離の大井宿と大湫宿の間は、連続する上り下りの坂道が続き、「十三峠におまけが七つ」といわれるほど峠の多い難所であった。 これは現在も変りなく、鉄道はおろか、幹線道路からも離れた山中の道が続いている。
「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と誤読したアナウンサーがいるとかいないとかの話があるが、まさに往時の中山道を彷彿とさせる「1日中山道」の区間である。
西行坂と西行塚
十三峠入口には「是より西 十三峠」の石柱が立ち、石畳が敷かれた西行坂の上り坂が始まる。

石柱の足元には、十三峠を越える現代の旅人への注意書きが立つ。
文章は丁寧に書いているが、要は「御嶽宿までの30Kmの間、幹線道や鉄道から離れ、食堂や商店・宿泊施設は無いので覚悟しろ!」と言っている。

西行塚
街道から少し右に入ると、西行の亡骸を埋葬して供養したと伝わる西行塚が立つ。
説明版を要約すると、「ある日村人を呼んで「私はこの夜半、土に還る。遺体は中野坂(現西行坂)に葬ってほしい」と頼んだ。 その夜西行は西に向って合掌し、立ったまま入寂した」とあった。

西行の話は全国に様々伝わるようで、その終焉の地は十ヵ所を下らないそうだ。 この十三峠の西行塚も、その中の一つのようである。
槇ヶ根一里塚と桜百選の園
西行坂を上り詰め、石畳も終了すると中山道らしい雰囲気の山道に変わる。

やがて日本橋から88里で、両塚が残る槇ヶ根一里塚が現れる。

「桜百選の園」と、洒落た名の付く見晴らしの良い公園。 百種類もの桜が植えられているそうだが、桜の種類ってそんなに多いのか? 桜の季節に来てみたい・・・

静かな林の中を抜けていく。

一方、街道脇に太陽光発電のパネルで埋め尽くされた所もあった。 風力発電の風車が林立するのも異様だが、景観が壊されていくようで残念だ。

姫御殿へ
槇ヶ根坂を上ると車の通る舗装路に合流し、標柱のみが立つ「茶屋水戸屋跡」などを眺めて進む。 やがてセントラル建設の前まで来ると、車道を離れて山中に入る分岐が現れる。

槇ヶ根立場跡と馬頭観音
中野屋や伊勢屋など、9軒の立場があった槇ヶ根立場跡。 明治期に入って中央線全線開通すると、中山道利用者は激減したため、町や村へ移転したといわれる。 かまど跡や古井戸が往時を偲ばせる。

立場跡のすぐ先で下街道(伊勢道)への追分を見送り、祝坂の木立の中には馬頭観音が立つ。

姫御殿跡
祝坂を上った祝峠には姫御殿跡がある。 この姫御殿入口辺りに、松ぼっくりを数多くつける「子持ち松」という松があったそうだ。 現在は2代目らしいが、上を見ると小さな松ぼっくりを沢山つける松があった。 これがそうか??

中山道を行くお姫様にとって、「子持ち松」とは縁起が良い。 更にこの付近は眺望が良く、格好の休憩場所として仮御殿を建てて休息したという。 もちろん皇女和宮も、ここで休息している。

姫御殿跡まで進んだが、まだ十三峠の序の口である。 しかし「天気良し、風は無し、そして車もいない」静かな山道である。 まだまだ先は長いが、 心がウキウキしてくる里山歩きである。
それにしても「十三峠におまけが七つ」といわれるが、「グリコのおまけ」が七つも貰える大盤振る舞い。 また 「十三峠を買うとおまけが七つもついてくる、大変お買い得な商品となっております」と、テレビショッピングの謳い文句のようでもある。
どのようなおまけが付いてくるのかを楽しみに、先へ進もう・・・

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