岩村城の壮麗な石垣群と悲劇の女城主の歴史を堪能した後は、山裾に広がる城下町へと足を延ばす。
かつて東濃の政治・経済・文化の中心として栄えた町並みには、往時の面影を宿す旧家や桝形、格式ある老舗が今も残されている。
それでいて過度な観光地化に染まることなく、人々の日常の営みや生活感が息づく町並みは、どこか懐かしく落ち着いた情緒に満ちていた。
岩村城の歴史ドラマに想いを馳せながら、江戸の風情が色濃く残る町並みをじっくりと巡る、岩村探訪記の第2弾である。
旅行日:2020年11月6日
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岩村城から城下町へ
岩村は町中を流れる岩村川を挟んで北側は武家町、南側が町人町となっていたそうだ。
また駅から岩村城に向かう緩やかな坂道沿いに町並みが続き、坂の上のほうが「上町(かんまち)」と呼ばれ、今でも江戸時代の建物が多く残っている。
上町常夜燈
岩村城から下り、岩村本通りに出る角に「上町常夜燈」が立つ。
説明版には寛政7年(1795)に建立され、現在地より100mほど南東の場所にあったが、岩村城創築800年を機に移されたとあった。

岩村本通りに入ると、歴史を感じる町並みが続く。 観光地化した妻籠や馬籠とは異なり、普通の生活感も感じられる、情緒豊かな町並みを見せている。

「カステーラ」の松浦軒本店
寛政8年(1796)創業という「松浦軒本店」。 「カステーラ」と書かれた看板を掲げ、長崎から伝わったポルトガル伝来のカステラの製法を守っているという。
自宅に帰ってから知ったことだが、松浦軒の製法はカステラの元祖ポルトガルでも途絶えてしまったそうだ。 松浦軒の「カステーラ」は、幻のカステラともいえるかもしれない。

岩村醸造 蔵の中をトロッコが走る
「カステーラ」の松浦軒本店の向かいにある老舗造り酒屋の岩村醸造。
天明7年(1787)創業で、創業当時は岩村藩御用達の運送業を営み、酒造りは副業だったという。 その後明治維新で岩村藩が廃止されると、酒造りが本業になった。 銘柄名は、ズバリ「女城主」である。

店に入ると、入口から奥へと続く2本のレールが伸びている。
昔は入口の広さで税が決まる「間口税」だったため、入口が狭く奥に長い「うなぎの寝床」の酒蔵である。 そのため100mにわたりレールを敷き、トロッコで米や水を運んだという。

今はバーカウンターのように改造されたトロッコの上に、試飲用の酒が置かれている。

お土産として松浦軒本店のカステーラにするか、岩村醸造の酒とするか一瞬迷ったが、岩村醸造の酒に即断即決。 銘酒「女城主」ではないが、すっきりとした飲み口で実に美味かった。

水野薬局 見応えある看板とショーウィンドウ
江戸時代から続く老舗の薬屋。 現在の建物は比較的新しく、昭和20年に建てられたというが、軒下にずらりと並ぶ看板に目を見張る。


ショーウィンドウにもレトロな看板が所狭しと並び、まさに博物館状態である。 知っているのは養命酒と龍角散、それに御岳百草丸だけであった。

木村邸 藩の財政を支えた商家
江戸中期から末期に栄え、苗字帯刀を許された士分待遇の問屋であった。
藩の財政危機や、江戸藩邸類焼時に多額の金品を用立てるなど、岩村藩の財政に大きく貢献してきたという。


木村邸手前の小路に入るとなまこ壁が続く。 木村邸奥の庭に立つ酒造蔵の外壁である。

岩村本通りは見どころの宝庫
岩村本通りは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、往時の面影を色濃く残す商家の町並みには、江戸から昭和初期にかけての歴史ある建造物が数多く残る。
また建物だけでなく、軒下の看板なども風情ある意匠が随所に見られ、カメラ片手に歴史散策を楽しめる街である。
下の写真の左側が木村邸、右は浅井屋で絣(かすり)のモンペや手拭いを売っているという。 今の若い人には「絣」とかモンペといっても知らない人が多いだろう。 どちらの建物も前面格子造りで、風情ある建物である。

染物業の土佐屋
260年前に染物業を営んでいた土佐屋。 平成8年に復元され、「工芸の館」として無料公開されている。

梅庄商店 看板建築もある
岩村本通りは格子造りの町屋が軒を連ねているが、その伝統的町家造りの中に洋風のファザードを持つ「梅庄商店」があった。
木造建物の表通りに面した部分だけ石壁を貼り、洋風建築に見える「看板建築」だろう。 昭和初期と思われ、往時は最先端のお洒落な洋品店だったのだろう。

矢野書店 陸地測量部発行地図販売店
矢野書店入口に吊るされた看板を見て驚いた。 「参謀本部 陸地測量部発行地図販賣店」と書かれている。 陸地測量部は現在の国土地理院の前身である。
左側の柱には「國定教科書取次販賣所」とあった。

右のガラス戸に貼られている写真は、NHKの朝ドラ「半分、青い」のポスターで、岩村本通りの多くの商店の店先に貼られていた。
この岩村は「半分、青い」のロケ地だそうで、ポスターの女の子が「可愛いな・・・」と思ったら、「永野芽郁」という女優だということを知った。
鉄砲鍛冶の加納家
本通りから脇道に少し入った所にある、鉄砲鍛冶の加納家。 天保2年(1831)頃から、6代岩村藩主の命により、鉄砲鍛冶を始めたという。

下町桝形と高札場
下町桝形は岩村城下町の西の入口で、本町の入口には木戸が設けられていたという。 この桝形から駅側の西町は、江戸中期以降に発展した町並みである。
この桝形には高札場が復元されている。

路上のマンホールには岩村城の三重の櫓が描かれている。

かんから屋の「かんから餅」
岩村は五平餅がが名物なようだが、もう一つの名物「かんから餅」を食べようと「かんから屋」に足を向けた。
甘味処に男一人で入ることに気が引けたが、店内は昔ながらの食堂といった雰囲気であった。

メニューを見ると「かんから餅」以外はうどん。 甘味処というよりうどん屋さんのようである。 遅めの昼食代わりに丁度良いと、玉子うどんとかんから餅を注文する。
写真を撮るのも忘れ、思わず「かんから餅」を一つ食べてしまった。 すり胡麻とこしあんが各2個。 さらにきな粉が一つと、1皿に5個も盛られている。

「かんから餅」を見た瞬間「ゲッ! 1人でこれ全部? 食えるかこんなに!」と思ったが、ペロリと食べてしまった。 甘さもくどくなく、お餅は柔らかく滑らかな舌触りであった。
玉子うどんも抜群の美味しさ。 白菜や厚揚げととき卵が、出汁と相まってさらに美味しくなっている。 これなら何度でも食べたくなる一品であった。 ごちそうさまでした・・・
次の中山道歩きでは「明智」を訪れよう
明知鉄道は、ほぼ1時間に1本のダイヤである。 乗り遅れると、何もない駅でボケっと待ちぼうけを喰らってしまう。 帰り電車の時刻を確かめて駅に向かう。

岩村駅構内。 写真右側の電柱には赤い腕木式信号機が残されている。

この記事で紹介しきれないほど見どころの多い岩村の町並み。 岩村城が鎌倉時代の1185年に開城されて以来、現在に至るまでの長い時を刻んだ町並みは、期待していた以上に見応えがあり、できればもう一度訪れたいと思う町であった。
「農村景観日本一」といわれる、のどかな田園風景の中を揺られながら恵那駅に戻り、名古屋経由で帰途についた。
今回は中央本線の南木曽駅から歩き始め、妻籠、馬籠、落合、中津川 そして大井宿と1泊2日で中山道を歩き、さらに1泊して岩村へ寄道の旅であった。 次回中山道を歩くときは、再び明知鉄道で「明智」の町を訪れてみよう。

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