中山道 第46宿 大井宿(2) 6つの桝形を曲がり往時の風情が残る町並みへ

日本橋から46宿目の大井宿。 古代の東山道大井駅の跡にできたといわれ、大化の改新の頃からこの地方の政治・文化の中心であったという。 また名古屋・伊勢方面への分岐点である槙ケ根追分に近く、尾張商人や伊勢参りの旅人などが通り、美濃十六宿の中で最も栄えた宿場である。

宿場内には6ヵ所もの枡形があり、城下町並みの堅固さを持っている。 何故これほど防備を固めたのかは、調べても判らなかった。

旅行日:2020年11月5日

【コースデータ】

区 間宿間距離日本橋から
2020年
11月4日
三留野宿妻籠宿1里半(5.9Km)80里8町(315.0Km)
妻籠宿馬籠宿2里(7.9Km)82里8町(322.9Km)
2020年
11月5日
馬籠宿落合宿1里5町(4.5Km)83里13町(327.4Km)
落合宿中津川宿1里(3.9Km)84里13町(331.3Km)
中津川宿大井宿2里半(9.8Km)86里31町(341.1Km)
合 計8里5町(37.9Km)
2020年
11月6日
明知鉄道で「岩村城」へ日本三大山城の一つで六段壁と女城主の城へ寄り道

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる

目次

大井宿に到着

明知鉄道のガードをくぐり、少し進むと五妙坂の急な下りとなる。 この五妙坂を下ると大井宿の高札場が復元され、このあたりが大井宿の江戸方出入口である。

大井宿は江戸から87里で46番目の宿場で、横町・本町・堅町・茶屋町・橋場という五つの町に分かれ、それぞれの町は、街道が直角に曲がる枡形によって区切られている。

大井宿高札場

復元された五妙坂の高札場。 実際は現在の場所から40mほど東の、坂の上にあったという。

大井宿高札場

一番目の桝形

高札場の先で上横橋を渡ると最初の桝形が現れ、左折して横町へ入る。 枡形の角には延寿院横薬師という寺がある。

大井宿桝形No1

大井宿本陣と和宮泉

最初の桝形を曲がり横町に入り、二つ目の桝形角に大井宿本陣を務めた林家がある。 母屋は昭和22年の火災で焼失したが、表門周辺は幸いなことに焼け残った。

この本陣には、「皇女和宮降嫁時に植えられた」とか「樹齢300年」といわれた老松があったが、平成8年(1996)に枯れたため伐採。 新たに二代目が植えられ、それが本陣門の背後に立つ松のようだ。

大井宿本陣

和宮のお気に入り「和宮泉」

街道は本陣門先の桝形を右折するが、左折して「和宮泉(かずのみやせん)」を訪れる。

本陣林家が常用していた井戸は、和宮降嫁の折に昼食時に供され、大変気に入られたそうだ。 そこで次に宿泊する中津川宿まで、この水をわざわざ運ばせたという話が残るという。

大井宿和宮泉

大井宿の中心 本町の家並み

本陣先の2番目の桝形を右に曲がり、大井宿の中心部へと入る。 庄屋の家や宿役人の家、脇本陣や問屋場跡などが並び、宿場の面影を残している。

大井宿
大井宿

大井村庄屋 古山家(ひしや資料館)

「菱家」の屋号で酒造業を営み、大井村の庄屋を務めた古山家。  明治初年に上宿から移築したもので、現在は中山道ひし屋資料館として公開されている。

ひしや資料館

長屋門移転工事

街道沿いの宿役人の家や、明治天皇行在所跡の石碑が立つ家の付近では、何やら工事が行われていた。 行在所主屋改修工事と長屋門の移設工事とあり、この先にある庄屋古屋家の長屋門を街道沿いに移設するようだ。

明治天皇大井行在所跡

移設する長屋門を見ておこうと訪れると、すでに解体撤去されていた。

大井宿長屋門

堅町から茶屋町へ

本町を進むと三つ目の桝形となり、ここを右に曲がると「堅町」となる。 この堅町には大井村庄屋の古屋家の豪壮な建物が残る。

旧旅籠「角屋」(現 旅館「いち川」)

本町と堅町の境をなす3番目の桝形角には旧旅籠「角屋」、現在は旅館「いち川」の看板を掲げて営業している。

大井宿桝形No3

桝形を曲がらず直進すると、旅館「いち川」の和風旅館らしい塀と門がある。

旅館「いち川」

大井村庄屋「古屋家」

3番目の桝形を曲がり堅町に入ると、江戸時代には商家を営み、保元年から二十年ほど庄屋を勤めた古屋家の豪壮な家が現れる。

正面突き当りには4番目の桝形にある市神神社が見える。

大井村庄屋古屋家

市神神社

竪町と茶屋町の境、4つ目の枡形角にある市神神社。 かつては付近で良質の煙草を産出したので、毎年1月7日にこの神社で「煙草市」が開かれたという。

大井宿桝形No4

4番目の桝形を曲がって茶屋町へ入り、市神神社方向を振り返る。 この茶屋町には、尾張藩の白木番所が置かれていた。

大井宿茶屋町

橋場町と大井の榎

茶屋町を進むと、茶屋町と橋場町の境となる5番目の桝形となる。

大井宿桝形No5

桝形を曲がり橋場町に入るが、わずか60mほどで最後の桝形となる。

街道はこの桝形を右に曲がると大井宿の京方出入口となるが、左に曲がると3つ目の桝形角にあった旅館「いち川」の前に出る。 しかし この道は新道である。

大井宿桝形No6

大井の榎と義賊・巳之助

最後の桝形を曲がると、大井宿京方入口の阿木川に架かる大井橋である。

この大井橋の下流側に、1本の大きな榎が立ち、その根元に小さな祠が祀られている。

大井の榎
大井の榎と義賊・巳之助

昔、大井に巳之助という大泥棒がいて、大金持ちから盗んだ金品を貧しい家に配っていたそうだ。 しかし ある時御用となり、石責めの刑となる。 そして この榎に縛り付けられ、役人たちから石を投げつけられ、血を流して息絶えたそうだ。 その後大雨が降るたびに、阿木川が氾濫を繰り返し、むごい殺し方をした巳之助の祟りと恐れ、榎の下に社を作り巳之助の霊を祀ると、それ以降嘘のように氾濫は起きなくなったという。

大井橋の欄干には、広重の「木曽街道69次の浮世絵」が飾られている。

大井橋

恵那駅へ

この日は木曽の馬籠宿から歩き始め、落合宿、中津川宿 そして大井宿と歩いてきたが、この大井橋を渡ってこの日の終わりとして、中央本線の恵那駅を目指す。

阿木川を大井橋で渡り、旧中野村に入る。 現在は「東銀座商店街」となり、中央通りとの交差点を右に曲がれば恵那駅である。

東銀座商店街

恵那駅手前の路地を覗くと、木造3階建ての大きな建物が・・・ 見に行くと「志なのや」の看板を下げていた。 調べると大正元年築の旅館だったそうだ。

旅館志なのや

明日は岩村城とその城下町へ

今回の中山道歩きは大井宿で終了。

前日に南木曽駅から歩き始め、県境を越えて岐阜に入ったが、どうも馴染みがない。 岐阜県といえば平湯や新穂高温泉など、登山の帰りに宿泊する程度で、新幹線から伊吹山を眺めながら通過する県というイメージである。

したがて中山道を歩きはじめた当初は、宿場名を見ても初めて聞く名が多く、地図上の場所も知らなかった。 

しかし岐阜に入ると、戦国時代の城郭や遺跡などが増えるので、寄道が増えそうである。

そして明日は早速の寄り道。 明知鉄道で「岩村」に行き、日本100名城に数えられる岩村城と、その城下町を訪れる。

また次回中山道を歩く時は、明智光秀ゆかりの地ともいわれる「明智」を訪れる予定である。

追記:完了した長屋門の移築工事

2021年9月30日をもって、コロナによる緊急事態宣言がようやく解除された。 解除後しばらく様子を見て、ちょうど1年ぶりに中山道歩きを再開するため、11月9日に大井宿を再訪した。

昨年訪問した時、 明治天皇行在所や庄屋古屋家の長屋門 の移築工事がなされていたが、その後の様子を見にいくと、ほぼ工事は完了。 姿を現していた。

移築された長屋門は、想像していたものよりも小さな長屋門であった。

明治天皇行在所の改修も終了していた。 明治天皇は明治13年(1880)に大井宿に到着し、その時の行列は300人以上だったというが、皇女和宮に比べればかなり控えめな行列である。

「背中ミノ有マス」

大井宿再訪時、東銀座商店街にあった店のショーウィンドウを見て驚いた。 なんと藁で作られた「蓑」が売られていた。 頭に菅笠、背中に蓑を背負って田んぼに立つ・・・ インスタ映えしそうな光景である。

背中ミノ
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