広島・尾道旅行2日目は、旅行目的である「平家納経」を見るため、厳島神社を訪れる。
「平家納経」とは、平清盛が平家一門の武運長久と繁栄を願い、厳島神社に納めた絢爛豪華な33巻の装飾経である。 平清盛だけでなく、嫡男の重盛ら平家一門の主要な武将たちが分担して写経したという。
厳島神社は外人観光客を中心に大変混雑していたが、「平家納経」が展示されている宝物館は人もまばらで、ゆっくりと見ることができた。
旅行日:2026年4月19日 ~ 4月22日
【旅行日程】
| 日 付 | 主な訪問先 | 宿泊地 | |
| 2026年 | 4月19日 | 広島へ(東京~広島)、平和記念館、広島城 | 広島 |
| 4月20日 | 厳島神社 | ||
| 4月21日 | 尾道移動、千光寺と向島散策 | 尾道 | |
| 4月22日 | 福山城、帰京(福山~東京) | 帰京 | |
宮島へ
広島駅から山陽本線で宮島口まで移動する。 JR宮島口駅から宮島へ向かう人々の流れに乗ってフェリー乗り場に向かうと、そこには多くの観光客が並んでいた。 しかし船が意外と大きかったので、あまり待たずに乗ることができた。
わずかな時間の船旅だが、海の香りと汐風、眺望を楽しみながら宮島到着である。

厳島神社を厚く信仰した平清盛
宮島上陸! というほど大袈裟ではないが、さっそく平清盛が歓迎してくれた。
平清盛は厳島神社を厚く信仰し、寝殿造りの海上社殿を造営して現在の姿を作ったという。

やがて海に浮かぶ大鳥居が近づいてきた。 時刻は10時50分。 当日の干潮は17時頃だったので、この日は鳥居の下までは行けないだろうと思っていたのだが・・・

豊国神社(千畳閣)
豊臣秀吉の命により、安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)が建立を始めたが、秀吉の死により未完成のまま今日に至っているそうだ。
未完成のためか外壁はなく、857畳という広間には多くの絵馬が掲げられている。


宝物館の「平家納経」に御対面
次に厳島神社に向かうと、入場券売場には長蛇の列。 「こりゃ駄目だ・・・」と、先に宝物館に「平家納経」を見に行くことにした。
宝物館に行く道を間違え、大聖院の方に行く滝小路という静かな道に入ってしまった。

大聖院前でUターンするように進み、宝物殿に到着。 展示されている「平家納経」は複製だが、経典が納められた経箱や、数本の経典が展示されていた。 もちろん撮影禁止である。
「平家納経」は、平清盛(1118~1181)と平家一門が共に制作し、平安時代の長寛2年(1164)に厳島神社へ奉納した全33巻の経典である。 その経典には金銀箔が散らされ、極彩色の下絵や文様が表も裏にも施された豪華絢爛な装飾経である。 経典ではあるが、絵画として国宝に指定されていることを見ても芸術性の高さがうかがえる。
この経箱に納められて奉納された。 奉納時は豪華に光り輝いていたことだろう。

出典:WONDER国宝 平家納経(摸本 増田家本)経箱
慶長7年(1602)には広島藩主の福島正則により修理が行われ、風神雷神で有名な俵屋宗達も一部の見返しに描いたそうだ。
大正期に田中親美により摸本が複数制作されたという。

出典:WONDER国宝 平家納経(摸本 増田家本)厳王品

出典:WONDER国宝 平家納経(摸本 増田家本)平清盛願文 俵屋宗達画
他に清盛の娘で安徳天皇を生んだ徳子(後の建礼門院)の写経も展示されていた。 解説には「たどたどしい字だが・・・」と書かれていたようだが、私の写経の字と比べると”雲泥の2乗の差”ぐらい上手であった。
展示品は本物ではないが、素人にはその差は分からないだろう。 1000年近く遠い昔の栄枯盛衰に思いを馳せて、見る価値は十分にあると思う。
宝物館の前には、昭和25年(1950)の修理で交換された、大鳥居主柱の根本材(楠)が展示されている。

神の使いが匂いにつられてやってきた
とりあえず昼食にしようと、「天ぷら みしなや」を訪れる。
料理が出るまでビールを飲んで待っていたが、隣の席に座ったドイツ人夫婦は「子供が飲むビールみたいだ!」と笑っていた。 ドイツでは昼からでもでかいジョッキで飲むという。
天ぷらや穴子の匂いにつられたのか、神の使いがやってきた。 店内をしばらく覗いて、「問題なし!」と納得したのか、静かに去っていった。 お店の人は「決して店内には入ってこない」と言っていた。

「宮島御前」を頼んだが、天ぷらのボリュームが凄い。 大食いの私でも、食後の揚げもみじ饅頭は持ち帰りとした。

平重盛公 御手植松
平清盛の嫡男で、清盛の後継者として期待されながらも清盛に先立ち病没。 この重盛が植えたという松の遺木が残る。 他に後白河法皇お手植えの松の遺木も残る。 単なる枯れ木に見えるが、歴史の深さを感じることができる。

いよいよ厳島神社へ
ゆっくり昼食を済ませ、再度厳島神社に向かうと、入場券売場には人の並びもなく、すんなりと入ることができた。
平清盛が仁安3年(1168)に造営した回廊は、床板の間に隙間を作り、高潮時の水圧を逃がして床板が浮き上がることを防いでいる。

厳島神社本殿。 手前の高舞台で舞楽が舞われたという。

本殿では白無垢の花嫁さんが式を挙げていた。 しかし親族の参列もなく二人だけだったので、何かの撮影ではないかと思う。

だいぶ潮が引き、「鏡の池」が現れた。 清水が湧き出て、潮が引くと手鏡のように見えることから「鏡の池」と呼ばれるそうだ。 円形は人工的なものだろう。

能舞台。 ここは朱色ではなく、時を感じさせる建物である。

反橋(そりばし)。 別名「勅使橋」と呼ばれ、現在の橋は弘治3年(1557)に毛利隆元により再建されたものだという。 ここにも良く聞く名前が出てきた。

すっかり潮が引いて、大鳥居に人々が近づいている。

妻が御朱印をもらおうと授与所に行くと、そこには凄い行列が・・・ 30分以上並んでいただくことはできたが、その間に更に潮は引き、大鳥居の根元まで行くことができた。

厳島神社に到着時は、満々とした海に立つ鳥居を見て「根元までは行けないだろう・・・」と思ったが、いろいろな所で待たされたおかげで、すっかり潮が引く時間になってしまった。
広島2日目の夜は魚づくし
時間が無くなり、宮島の弥山へ上ることは諦め帰途につく。
帰りはのんびり広島電鉄で帰ろうと思ったが、職員に「広島まで行く」と話したら「やめたほうが良い。JRのほうが早い」と、親切なのか商売っ気がないのか・・・

JRの駅には、丸ごとオレンジを絞ってくれる自販機があったので購入してみる。 しばらく待つと生絞りのオレンジジュースが出来上がり、結構おいしかった。

前日は「広島焼を・・・」と思ったが、どこも満席で諦めた。 そして2日目の夜は、瀬戸内の魚を楽しもうと、魚料理が自慢だという「出道 鉄砲町店」を予約。
刺身の盛り合わせが凄い! そして安い! コスパは抜群である。 こんな店が家の近くにあれば・・・

(写真の色が悪く、美味しそうに見えないが実際は美味い!)
他にいろいろ頼んだが、焼き魚が好きなので・・・ 鯛だろうけど、何鯛だか忘れた。 そして酒も美味い。 銘柄は「亀齢」。

こうして広島の旅は無事終え、明日は尾道へ移動である。
尾道は2012年に自転車で「しまなみ海道」を走った時に訪れたが、この時食べた”おこぜの唐揚げ”がものすごく美味しかった。 もちろん今回も”おこぜ”狙い。 はたして食べることはできたのだろうか?

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