中山道 十三峠(2) 「また坂か…」 毒づき歩く 十三峠核心部

姫御殿跡を出発し、いよいよ十三峠の核心部へと足を踏み入れる。

北アルプスなどの登山道とは異なり、木漏れ日を浴びながら、落ち葉が敷き詰められた道を歩く里山ハイキングである。 しかし 次々と現れる坂道に息を弾ませる。

人里離れた静寂の中、「また坂か・・・」と毒づきながら進むが、これこそが十三峠の真骨頂なのだろう。

次々と変わる里山風景を中心に綴る、十三峠越えの第2弾である。

旅行日:2021年11月10日

【コースデータ】

2021年区 間宿間距離日本橋から
11月9日明知鉄道で「明智」へ「うかれ横町」と大正村、明智光秀伝説が残る町へ
11月10日大井宿大湫宿3里半(13.7Km)90里20町(355.6Km)
大湫宿細久手宿1里半(5.9Km)92里2町(361.5Km)
11月11日細久手宿御嵩宿3里(11.8Km)95里2町(373.3Km)
御嵩宿伏見宿1里(3.9Km)96里2町(377.2Km)
11月12日伏見宿太田宿2里(7.9Km)98里2町(385.1Km)
合 計11里(43.2Km)

(注)宿間距離は「宿村大概帳」(江戸末期)を参考としたもので、現在の道路距離と異なる。

↓↓↓↓↓↓↓ 十三峠 第1弾 はこちら ↓↓↓↓↓↓↓

目次

首なし地蔵とみだれ坂

祝坂の姫御殿跡を過ぎると、すぐに「首なし地蔵」が現れ、更にその先に「みだれ坂」の急坂が待ち受けている。 もっとも江戸方から来ると、下り坂なので苦も無く通過することができる。

首なし地蔵

首なし地蔵は宝暦6年(1756)に、旅人の安全を願って建立。 もちろん首はついていた。

しかし ある時2人の中間(ちゅうげん)が木陰で休憩して眠り込んでしまった。 やがて1人が目覚めると、もう1人は首を斬られて死んでいた。 それを見た中間は「黙って見ているとは何事だ!」っと、 怒って地蔵の首を切り落としてしまったという。

それ以来何度か首を付けようとしたが、どうしても付かなかったとさ・・・

首なし地蔵

裾も乱れる「みだれ坂」

やがてみだれ坂の石畳が現れて急な下り坂となり、途中に「みだれ坂碑」が立つ。

大名行列は乱れ、旅人の息も乱れ、女性の裾も乱れるほどの急坂だったことが「みだれ坂」の名の由来だそうだ。 しかし江戸方から歩いているので下り坂。 苦しくも何ともない・・・

十三峠みだれ坂

「下座切場跡」 街道を通る役人を、村役人が土下座で迎えた場所だという。

下座切場跡

みだれ坂を下ると小さな「みだれ橋」を渡る。 下を流れる川の水量は少ないが、昔は石も流れるほどの急流だったという。

四谷集落と大名街道

「みだれ橋」を渡ると車の通る舗装路に合流し、緩やかな「うつ木原坂」を上がると四ツ谷集落である。 青空が広がり、明るい雰囲気の集落を抜けていく。

四谷集落

「竹折高札場跡」の標柱が立っていた。 往時は高札場を立てるほど人家があったのだろう。

竹折村高札場跡

「殿様街道」 参勤交代のルートだった

民家の横に入る細い路地。 私有地のようなので足は踏み入れなかったが、岩村藩主が参勤交代時に通った道で、ここから中山道で江戸に向かったそうだ。 とても大名行列が通った道とは思えないが、往時は民家はなかったのだろう。

見物人の少ない田舎や山道では、大名行列は隊列を崩して歩いたというので、この付近もバラバラで歩いていたのだろう。

大名街道

前回の中山道の旅で大井宿まで歩いた時、恵那駅から明知鉄道で岩村藩の岩村城址を訪れた。 この岩村城から中山道まで、どのようなルートだったのか興味深い。

↓↓↓↓↓↓↓ 岩村城の様子はこちら。 ↓↓↓↓↓↓↓

びやいと茶屋跡 中山道らしい風景が広がる

かくれ神坂、平六坂と進むと視界が大きく開け、往時の中山道にタイムスリップしたような風景が目に飛び込んでくる。

妻の神

四谷の集落を抜け、かくれ神坂の木立の中に「妻の神」がひっそりと鎮座している。

「山の神」は聞くが、「妻の神」とは聞いたことがない。 調べると性病治癒、夫婦和合、子宝の神とされる道祖神の一種だそうだ。

妻の神

中山道らしい風景「びやいと茶屋跡」

緩やかな平六坂を上がり、平六茶屋跡の標柱を過ぎると視界が大きく開け、街道が緩くカーブを描いて伸びていく。 「びやいと茶屋」という茶屋があった場所である。

「びやいと」とは、枇杷の葉に薬草を混ぜて煎じた飲み物で、「枇杷湯糖」と書くそうだ。 当時の「ファイト一発リ〇ビタンD」なのだろう。 今は自販機の影すらない・・・

びやいと茶屋跡

紅坂一里塚とぼたん岩

山道の続く十三峠には、往時の姿をそのままに左右両塚が残る一里塚が多い。 上り下りの激しい道だが、これらを眺めながら江戸時代の旅人の心境となって歩くのも楽しい。

紅坂一里塚

江戸から89里、京までは残り45里の紅坂一里塚。 左右両塚が残る。

紅坂一里塚

「うばヶ出茶屋跡」という標柱が立つ。 紅坂を下ると「うばが茶屋」という標柱があったが、この「うばが茶屋」の出店だったのだろうか?

うばヶ出茶屋跡

紅坂の「ぼたん岩」

石畳の紅坂を下る途中に、牡丹の花のような形の「ぼたん岩」がある。 花崗岩の「玉ねぎ剥離」の標本と説明板にあった。 確かに玉ねぎの輪切りにも見える。

ぼたん岩

ぼたん岩を過ぎ、石畳の紅坂を下る。 右に立つ標柱の足元には紅坂碑もある。

十三峠紅坂
十三峠紅坂

「里すくも坂」か「黒すくも坂」なのか?

街道に沿ったわずか数軒の小さな集落。 昔は馬茶屋があったそうで、深い軒の下に馬を繋いだそうだ。

中山道十三峠

次に現れる坂の名は、「里すくも坂」とか「黒すくも坂」と、資料により異なる名前で呼ばれている。

どちらが正しいのか、現地の石碑をじっくりと見たが良くわからない。 結局 大湫宿で貰った十三峠の資料にある「黒すくも坂」ということにした。

黒すくも坂碑

三社灯篭と佐倉宗五郎大明神

皇大神宮・秋葉神社・金毘羅神社を祀るという三社灯篭。

三社灯篭

向かいには佐倉宗五郎を祀る小さな神社が建つ。 佐倉宗五郎といえば下総(千葉)の義民だが、なぜこの様な所に ???

リニア新幹線が近くを通る

三社灯篭の先で右手を見ると、なにやら工事が行われている。 リニア新幹線のトンネル工事で、この近辺で一瞬だけ高架を走るようだ。

リニア新幹線工事

深萱立場と「ちんちん石」

藤川を渡り県道に合流すると、県道沿いに藤村の高札場が復元されている。

藤村高札場跡

深萱立場跡

高札場の先が深萱(ふかがや)立場跡となる。 立場本陣もあり、皇女和宮や多くの姫君、大名行列が休憩したという。 大きな中山道の案内版を眺め、十三峠の後半戦に向かう。

この案内図によると、大湫宿まで残り4Kmとあった。

深萱立場跡

ちんちん石

深萱立場跡から西坂を上り、坂の途中にある民家の倉庫手前を左に入ると「ちんちん石」がある。 案内版も何もないので、気付かずに通り過ぎてしまう人も多いだろう。

倉庫の脇から草道を20mほど進むと小さな墓地となり、その奥に「ちんちん石」を前に置く墓石がある。 小さな石が3個並び、その石で叩くと「ちんちん」と、金属のような高い音を発する。 見ず知らずの人のお墓を騒がせたので、手を合わせて挨拶をしておいた。

ちんちん石

ちんちん石を過ぎ、更に西坂を上る。

十三峠西坂

三城峠と「ばばが茶屋跡」

西坂を上がると舗装道路を横切り、更に上りが続く。 ここからは「みちじろ坂」と名を変え、その頂上は「三城(みつしろ)峠」と呼ぶようだ。

十三峠茶屋坂

みちじろ坂を三城峠目指して進む。

十三峠みつじ坂

三城峠頂上には、茶屋坂碑と「ばばが茶屋跡」の標柱が立つ。 「ばばが茶屋」とは、名の通りお婆さんが茶屋を営んでいたそうだ。

ばばが茶屋跡

ここから恵那市と瑞浪市の境にむけて茶屋坂を下る。

ここまでで人に出会ったのは、私とは逆方向に大湫宿から大井宿を目指す2人だけで、あとは四谷集落で遭遇した5~6匹の猿の群れである。 いくつの坂を越えてきたのかわからないが、とにかく静かな山歩きを楽しむことができる。

大湫宿まで残り4Kmほどだが、まだまだ峠道は続く。 しばらくは楽しみも続くことになる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。

目次